占い師
牧師になって、ようやく仕事にも慣れ始めた頃のことである。日暮れに礼拝堂の戸締りをしていると、見知らぬ年配の女性が礼拝堂に入ってきた。年の頃は70代。自身から名乗った生年は、わたしの母と同じだった。
茶髪で、鮮やかな黄色のジャケットを着た女性は、占い師と名乗った。洗礼を受けたいという。彼女は戦前、ここの幼稚園に通っていたのだそうだ。そのときの幼稚園の先生や、園長だった牧師先生に、やさしく頭を撫でられたこと。今も忘れられないという。人生も終わり近くなり、これからは教会で祈りの日々を歩みたいというのだった。
彼女が幼稚園に通っていた、その当時の牧師も、幼稚園の教諭たちも、みんなこの世にいない。彼らにしてみれば、頭を撫でてやった数え切れないほどの園児たちのうちの一人が、自分の死後に教会を尋ねてくるなど思いもよらなかっただろう。そして、その時代には影も形も存在しない、このわたしが牧師として応対するなど。こうして彼女とわたしとの交流は始まった。
彼女は教会の近くにある、地元の商店街で占い店を開いていた。そこにはいつも若い、おもに女性のお客さんたちが出入りしていた。通りすがりに店を覗くと、衝立の向こう、真剣な表情で彼女が占いを告げていた。内容などは聴こえないが、そこでの彼女は教会で見るのとはまったく違う、プロの顔だった。
お客さんがいないとき、彼女と店で談笑した。彼女は英語で書かれた資格証明書のようなものを見せてくれた。アメリカで占いを学んだ、その修了の証明書だという。もう名前は忘れてしまったが、占いのプロフェッショナルを認定する、全米なんとか協会といったものが存在するらしい。そしてカウンターには、彼女以外には決して触れてはならないタロットカードや水晶玉などと共に、最近買ったのであろう、真新しい新共同訳聖書がそっと置いてあった。
ある日、お店に行くと、彼女の元気がない。どうしたのか尋ねると、彼女は泣きそうになりながら「水晶玉が汚れてしまった。お店が穢されてしまったの!」と。だから客足が途絶えてしまったという。「先生お願い!悪霊を祓ってちょうだい!」
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