「わたし」は線分ではない

わたしの仕事は公私混同なところがある。牧師だから死について考えるのか、このわたし個人の志向が死を考えることから逃れられないのか、いずれとも決めがたい。とにかく、ほぼ毎日わたしは何らかの形で死について考えている。それは「あの人が亡くなった」という第三者の死から考え始めるにせよ、最初からこのわたし自身の死について考えるにせよ、必ず「わたしが死ぬとは?」という問いに行きつく。

ところであなたは、自分が生まれたときのことを覚えているだろうか。わたしは幼稚園の園長をしていた時分、生まれた直後どころか、まだ母親のお腹にいたときのことを覚えているという園児に出会った。それも一人や二人ではない。わたしは驚いたものだ。そのことを保育教諭に尋ねたところ、べつに珍しいことではないという。そして、そういう子どもたちもその多くは、小学生になるころには生前生後の記憶を喪ってしまうらしい。だからそれ以降は「生まれたときのことなど覚えていない」となるわけだ。

そういうわけで、大人になってもなお母親の胎内でのことや出生直後のことを覚えている人というのは、ほんのわずかしかいない。また、そういうわずかな人でさえ、出生直後から今日までのあいだに、いくつかは記憶の空白があるのではないか。こうしたことでわたしは何を言いたいのか。それは、こうやってあれこれ考えている、今ここにいる「わたし」は、どこまで途切れなく遡ることが可能なのかということなのである。「わたし」は生まれてから今日まで、少なくとも「わたし」自身からみて、滑らかに持続していると言えるのだろうかと。

私事を言えば、「わたし」は生まれたときのことを覚えていない。ましてや母の胎内での暮らしなど一切記憶にない。最も古い記憶は幼稚園に入園する前、子ども部屋(とおぼしきどこか)でブリキ製のジープで遊んでいて手を切ってしまい、血が出て号泣したことである。だがそこで記憶は途切れる。次の記憶は幼稚園の年長程度にまで飛んでしまう。幼稚園で遊んだ記憶のいくつかの断片があり、また記憶は飛ぶ。次は小学生だ────記憶はブツ切りで、傷だらけで何度も音飛びするレコードのようだ。

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