静かなる製鉄所
わたしは子供の頃、地元にあった製鉄所を遠く近く眺めるのが好きだった。あの静かな、煤けた錆色みたいな塔のなかには溶鉱炉その他の設備があって、眩しく熱い鉄が流れているはずだと想像した。製鉄所近辺の港には、同じく錆色のトロッコも野ざらしになっていた。おそらく製鉄過程で生じるガラス片みたいなものも落ちていて、散策しつつそうしたものを拾って眺めるのも好きだった。
工場の外見がいくら静まり返ったように見えても、その内部には光り輝く、焼けた鉄がみなぎっている。わたしは自分の、さしあたり静かな日々を想う。わたしの日々には神など存在しないようでいて、そのじつ、焼けるように熱い神の息遣いが、あふれんばかりに満たされているのではないか。
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