手放さない

昨今、マインドフルネスや断捨離などの文脈で「手放す」ということが語られる。さまざまなことを手放す。それができるならすてきだなあと思う。

一方で、わたしは教会で来会者の悲嘆をお聴きする。悩みや苦しみは、「手放せない」という現実の痛みからくる。そして話をお聴きしているこのわたしにしても、じつにさまざまなことを手放せないでいる。

手放せないままでいるあれこれのことについて、わたしはたしかにそれらを手放すことができないのであるが、さりとて独りで抱えこんでいるわけでもない。わたしはそれらを、イエス・キリストと共に抱えているという思いがあるからだ。来会者にも、もちろん信頼関係があってのことだが、そのように話している。あなたはそれを無理に忘れようとしなくてもいいし、手放せなくてもいい。抱え込んでいるそれは、神さまも一緒に抱き抱えてくれているから、と。

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