キレる牧師

ある職場で働いていたときのこと。そこでは70代後半の男性牧師が先任者で、名誉職として在籍していた。彼は若い頃から難聴だった。そのせいか彼は、よく聞き取れない複数人との会話に参加するよりも、独りで畑を耕し、沈黙の大地から匂い立つ息吹と対話することを好んだ。

彼はわたしの仕事ぶりに、とくに不満はなさそうだった。少なくともわたしにはそう見えた。わたしはその職場に馴染もうと、自分なりに懸命に努力した。なかなかうまくいかず、抑うつ状態に陥ったりもした。だが、やがて山を越えた手ごたえを感じた。わたしは再び活気を取り戻し、覚えた仕事にやりがいを感じ始めた。初めて仕事の醍醐味を味わい、職場が今までとは違った奥行きをもって見えるようになっていた。

その矢先であった。彼からの手紙を、わたしは受け取った。そこにはふだん黙って畑を耕す彼からは想像もつかない、理詰めの長い文章が綴られていた。そしてその要所要所には、わたしの仕事の未熟さ、今のままではとうていやっていけないこと、そして「あなたが何をやりたいのか、やろうとしているのか分からない」という結論が綴られていた。

ショックというような言葉で済むことではなかった。ようやく仕事が軌道に乗り始めたし、彼の想いを受け継ぎ仕事が出来ているとも感じていた。そのことに誇りさえ覚えていた。難聴の彼にも、わたしはできるだけ大きくはっきりとした声で、意思表示をしてきたつもりだった。だが彼にはわたしの抑うつ状態時の印象がよほど強く残ったようであり、その3か月ばかりのあいだの、いかにも意欲のない働きぶりへの不信感が募っていたようだった。難聴の彼は生来コミュニケーションを避けがちではあったが、やはり黙ってはおれなかったのだろう。積もりに積もったわたしへの不信感を、難聴ゆえ語りづらい話し言葉ではなく、手紙にしたためたのである。

やっとの思いで抑うつ状態から抜け出し、ようやく仕事が軌道に乗り始めた矢先にこのような手紙を受け取った。それはわたしにとって、そしておそらくは手紙を書いた彼自身にとっても、不幸なことであった。忍耐を重ねて抑うつ状態を抜け出したのに、それを評価するどころか酷評するような文面に、わたしはとうとうキレた。激高してしまったのである。その手紙は彼の妻から受け取ったのだが、わたしはその場で手紙を読みながら彼女に「こんな職場、辞めてやる!」と叫んだ。「話しあいましょう」とわたしを追う彼女に「話しあうことなどない!」と牧師館に閉じこもった。

牧師館へ戻るや、わたしは直ちに彼に電話した。そして受話器が壊れるかという大声で絶叫した「手紙は読みました!辞めます!」。あとは何を話したか覚えていない。記憶が飛ぶほど激高したことは、おそらく生まれて初めてのことであった。そしてわたしは妻の勧めにより、その近隣にある精神科病院へ入院したのである。

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