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8月15日に、靖国神社と千鳥ヶ淵霊園へフィールドワークに行ったことは先日の記事で書いた。そ…
わたしは以前、日本基督教団の靖国・天皇制問題小委員会に所属する委員だった。当時わたしは地…
といっても陰謀論の話ではない。以下、少々おつきあいいただきたい。 あなたは今、小説を読ん…
わたしは宗教にまつわる仕事(牧師)をしているので、さまざまな局面を信仰との類比から考える…
国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」に展示された従軍慰安婦像をめぐって住民などから抗議が相…
先日、『ミクロの決死圏』(1966年)という映画を録画して観た。子どもの頃にテレビでやってい…
おととしにこの記事を読み、たいへん感銘を受けた。というのもその当時、わが小さな教会で起こり始めていたことの本質を、この記事に紹介されている歴史がみごとに言い表していると感じられたからである。 最近は教会も重たいベンチを嫌うようになった。掃除の際に移動させるのがたいへんだからである。わたしもアンチベンチ派だった。新築されたばかりの教会を訪問すると、よくプラスチック製の軽い椅子が備えられている。ベンチではなく、一人ずつ座る椅子である。流線型だったりメッシュだったりかたちはさまざ