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生きること、死ぬこと、そのむこう

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牧師として、人の生死や生きづらさの問題について、できるだけ無宗教の人とも分かちあえるようなエッセーを書いています。一度ご購入頂きますと、過去の記事、今後更新される記事の全てをご覧…
このマガジンの記事を踏み台に、「そういえば、生きてるってなんだろう?」と考えを深めて頂ければ幸いで…
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2019年8月の記事一覧

告発と美化のはざま

8月15日に、靖国神社と千鳥ヶ淵霊園へフィールドワークに行ったことは先日の記事で書いた。そ…

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錆びた顔

わたしは以前、日本基督教団の靖国・天皇制問題小委員会に所属する委員だった。当時わたしは地…

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あなたは読まれている

といっても陰謀論の話ではない。以下、少々おつきあいいただきたい。 あなたは今、小説を読ん…

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いろいろなことを信じながら生きている毎日

わたしは宗教にまつわる仕事(牧師)をしているので、さまざまな局面を信仰との類比から考える…

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理性的に原則で対処できないことがある

国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」に展示された従軍慰安婦像をめぐって住民などから抗議が相…

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時の加速と時が止まる場所

先日、『ミクロの決死圏』(1966年)という映画を録画して観た。子どもの頃にテレビでやってい…

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教会の重たいベンチ

おととしにこの記事を読み、たいへん感銘を受けた。というのもその当時、わが小さな教会で起こり始めていたことの本質を、この記事に紹介されている歴史がみごとに言い表していると感じられたからである。 最近は教会も重たいベンチを嫌うようになった。掃除の際に移動させるのがたいへんだからである。わたしもアンチベンチ派だった。新築されたばかりの教会を訪問すると、よくプラスチック製の軽い椅子が備えられている。ベンチではなく、一人ずつ座る椅子である。流線型だったりメッシュだったりかたちはさまざ

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