物を書くことと言葉の意味についての覚書

たとえば「傷の舐め合い」という表現がある。
意味は「似た様な不幸にある者同士がなぐさめ合うこと」。
この表現をちょっと使ってみよう。

舞台は東尋坊。自殺しようとする女性を止める青年。
彼は女性に、自分も自殺しようとした経験があったことを話す。
女性は青年の話に胸を打たれ、自殺を思いとどまる。
二人は場末の小さな居酒屋で互いのことを話し、傷を舐め合った。
隅に座った常連である老年の男性が二人の悲壮な話が耳に入ってはうんざりし、こう口を挟んだ。
「傷の舐め合いはいいけど、あんまり傷を舐め合えば病気になるぞ」


ここで言いたいのは、文字の意味と表現、そして可能性について。
「傷の舐め合い」という言葉の意味が示すことは
「似た様な不幸にある者同士がなぐさめ合うこと」。
しかし「傷の舐め合い」にこのような意味があるのは慣用的なものであって、「傷の舐め合い」そのものが意味するものではない。
だからこそ、この言葉には複数の意味が存在し得るのです。
慣用的な使い方を知らなければ文言どおりの「傷の舐め合い」を意味し、傷を舐め合う行為とはいったいどんなものかと文言そのままの意味に迫る。

さきほどの例文における老年の男性は「傷の舐め合い」という表現を知った上で「傷の舐め合い」そのものから「血液感染」を意識したことによって、「病気になるぞ」と冗談的に注意します。
重要なのは「傷の舐め合い」の慣用的な意味を知りつつ、その慣用的な意味とは別の形で「傷の舐め合い」の意味を捉えて「病気になるぞ」と注意するものの、その別の形で捉えた「傷の舐め合い」が慣用的な「傷の舐め合い」が持つ言葉の意味と根底では合致するという点にあります。
何故って、「似た様な不幸にある者同士がなぐさめ合うこと」というのは度が過ぎれば健全なことではありませんからね。

このように言葉の表層にある意味とは別の形で意味を深堀しては発掘し、別の角度で捉えながらも穿った場所から見る青天井が同じ色に見える表現というのは、真に滑稽さがあるのではないかと思う次第なのです。

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