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ケアとかフェミとか

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#家族

母と娘のわかりあえなさ_100日後にZINEをつくる、85日目

村井理子『家族』を読む。 よその家族の「普通」は外から覗けばたいてい奇妙で、普通の家族なんてどこにもないということがわかる。 「母」という存在はひたすらに娘を圧倒する。 母は「母」「妻」「女」として振舞うことができるが、子どもから見える景色は全て「母」である。 それが娘にとっては時にどれほど残酷なことか。ということを嫌というほど突きつけられる。 我が母は長女を「ママの天使」と呼び、レースやフリルなど女の子らしい服を着させたがった。わたしはレースやフリルやタイツがチクチクし

映画『Coda』は美しい愛の物語なのか_100日後にZINEをつくる、48日目

ヤングケアラーの授業の一環で『Coda あいのうた』を観た。 第94回アカデミー賞で作品賞、助演男優賞、脚色賞の3部門を受賞した作品なのでご存じの方も多いはず。 「海の町で暮らす17歳のルビーは家族の中でたった一人の健聴者であり、耳が聞こえない家族の通訳として家業を手伝っている。『ろう者でありながらも陽気で明るい家族』のケアを背負わされながらも、自分の才能を開花させて夢に向かって歩きはじめる」 このユーモアがちりばめられ、美しい歌声に彩られた映画を好きにならない人がいるのだ

かぞくをたのしむ_100日後にZINEをつくる、27日目

みんなが自分のやりたいことを我慢せず、みんなが自分のやりたくないことをちゃんと言って、みんなが少しずつ誰かのために我慢すれば、「全員が楽しい」ができるんだってわかった日。 家族でいるより1人の方がずっと楽しいって思ってたけど、ただ単純にわたしは家族の中で自分でいることをしていなかったみたい。 結婚して15年、わたしは家族を優先してきたんじゃなくて、ただ家族という集団の中で自分でいることを怠ってきたんだ。 そんでもっておそらく、この癖は結婚する前からのものだってこともうっす

「夫婦」と「家族」についてかんがえる_100日後にZINEをつくる、18日目_

「男女の脳には違いがあるんだから、夫婦はそれをお互い受け入れて、理解し合い、許すことが大事」 という話を真剣に話してくれた人がいて、私も真剣に「その物言いで得してるのはだれだ」って思ってた。 「夫婦はお互いを受け入れよう」の罠 「お互い」という言葉にどうしたって「妻が」のニュアンスを嗅ぎ取ってしまう、根性がねじくれているわたし。 コミュニケーションが絶対的に必要なスキルである<家庭>という空間において、本来「苦手だから大目に見てね」は通用しませんよ。 大目になんか見てや

家族へのケアについて考える_100日後にZINEをつくる、14日目

まいにちまいにち「ZINEをつくる」という題名で、とりとめもなくいろんなことを綴ることが、「ZINEをつくる」=「ZINEをつくる過程の自分も含まれる」に意識を変更したら妙な義務感による苦しさがなくなってきた。 こうやって自分のなかの意識ひとつで認識は変化するから、やっぱり世界は自分の中にあるって真実だなあ。(マトリックスとも再度きちんと向き合いたい) 家族へのケアについてかんがえる 今日は『ケア』について考えてた。 「家族へのケア」という言葉から連想するのはどうした