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15分で作る即興小説「人間らしさショー」

娯楽は淘汰された。


すべての人間はより「人間らしく」生きるために人生を捧げなければいけなくなった。
「何も考えずに」ただ「思考する」ことを求められていた。

ただ唯一、娯楽として残されたものがあった。

サーカスだ。

サーカス団員になれるのは上流の者だけであった。

運動やパフォーマンスを行うことでお金がもらえる。
それに加えて、「人間らしさ」を求められない。人間らしくないほうが喜ばれるまである。

「人間らしく」生きるものは、「人間らしく」みえない者であるサーカス団員を見ることで興奮、驚き、衝撃を受け活力としていた。憧れでもあった。


音楽、絵を作り上げることは全て論理的でなければならなかった。裏付けが必要とされていた。それが「人間らしさ」であるからだ。

それに反発するものもいた。それはそれで「人間らしい」ので機構からは放置されていた。


しかし、「人間らしく」ない者もいた。それは、一昔前なら誰がどう見ても人間であった。

ただ、少し人と違うだけであった。現代において、このような者たちは「人間らしさ」の評価軸からずれてるとされ矯正させられていた。

非常にストレスに感じる者も当然いた。自害した。しかし、機構はそれを問題だと思っていなかった。自ら死を選ぶことは「人間らしさ」の象徴であると考えているからであった。


ある日、サーカス団はいつものようにショーをして会場を沸かせていた。

ゴマ塩のゴマと塩を素手で完全に分別する。

大人気のショーだ。思考もせず無駄な行為であるため、誰もやらないのである。

しかし、サーカス団員は違う。「人間らしく」ない行動を見せて、ご飯を食べていくのである。

スッとゴマを別皿へ取り分ける。
静寂が続く。
スッと塩を取り分ける。
咳払いが鳴り響く。
最後の一粒のゴマを空中に投げ飛ばし、空中ブランコ担当のサーカス団員がきれいに口でキャッチしてみせた。

会場は大盛りあがりだ。
「無駄だー!」
「意味がない!」
「俺もやりたい!」
「ママー!ボクもゴマ塩とりわけたいよ~!」「人間らしく生きなきゃダメ!」「ケチ~!」


また、今日も普通の人間がサーカス団員として働く。

「人間らしく」ないとされる、ちょっと変わった人間は今日もまた苦痛を感じながら「思考」を強要され続けている。

気持ちとしてのお金は時に人の気持ちをより良くします