うつの旅々

ひとたびでたひと 2度の大学中退 2度の自殺未遂 IQ137(CAMS)

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アオクサイモウゲン

障害者を支援する施設で、こういうことができてないからだめだとか、それじゃあ社会でやっていけないよだとか、そういう罵り合いを見ていてとても悲しくなる。できないことを指摘すること自体はもちろん否定しないし、変わる努力とか認める自覚とか忘れてはいけない、しかし、世間や社会の常識では包み込めなかった人たちがたどり着いた場所でも、互いを認め合うのではなく、結局は社会にされたように同じことを繰り返す。むしろ、そういう人が集まれば軋轢は大きくなること仕切りなのだろうよ。そして、彼らは普通の

    • ばらバラナシたい

      メモ帳にあったので。 インドのバラナシに来た。ヒンドゥー教の聖地、ガンジス川が横を流れる街。皆が人生で一度は訪れるべきだと云った街。生まれ変わるならこの街でと口々にインド人が云う街。僕はここで何を感じているのだろうか。話す必要に駆られる空間の中で自分の無力さに打ちひしがれるためにここに来たのだろうか。 死生観、みたいなものを見たかったのだろう。 人が目の前で焼かれているのを見て、一ミリも死生観が揺らがない、それほど死と友達になっていたのだろうか。 とにかくこの居心地の悪さ

      • 忘食

        旅の最中は、日々の関心は主に衣食住であった。今日どこに泊まり、どんな物を食べて、洋服を洗濯する場所があるかどうか。そこでは効率という単語はなかなか出てこない。しかし,日本に帰ってきて定住をすると、気を抜くとご飯を食べるのを忘れるし、忘れ物も多くなり、周りの景色を見たりする時間が圧倒的に減った。懸念していたことが現実になるのを目の当たりにすると、人がいかに環境の生き物であるかを実感すると同時に、意識的に環境を整えねば元の木阿弥になるだろうことは容易に想像がつく。

        • 渡り鳥のためいき

          車輪の再発明的な文章だが、書かずにはいられないのでここにおいておく。 特定の技術の登場による未来予測には面白さはあるもののかなりの限界がある。極端なユートピアやディストピアの想定は人間存在を見直すうえで重要であるものの、線形思考に基づいたそうした未来は到来しずらい、むしろある地点における予測を技術が発展するたびに更新しておくべきだ、渡り鳥のように。ただ、問題は技術の発展が早すぎることでこうしたスクリーニングがなされる前にあるシステムがそうと知られる前に社会に敷衍してしまい、取

        アオクサイモウゲン

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        • ひとたびたびでる
          4本
        • 枝葉節
          12本

        記事

          善意の出汁

          善意にもする人とされる人がいる。善意は行う主体にとっての善だと感じられるものであり、善意を受ける人にとっての善であるとは限らないが、善意を行う人にとっては関係がない。しかし、善意であるという態度が認められると、それを断ること、受け入れないことは無礼であると考える人がいる。善意なのに無下にするのか、と。だから善意は悪意よりも押し付けがましいと感じる。ただ、善意自体は否定しない。むしろ、好ましいのだろう。必要なのは善意ー被善意のマッチングだ。する善よりされる善、という善の形もある

          善意の出汁

          首奇

          年齢を尋ねられると、どうして後ろめたいと感じるのか? どうして給料を聞かれると、恥ずかしいと感じるのか? どうして学歴を問われると、心苦しいと感じるのか? いつからそう思わされるようになったのだろうか。 若ければ偉いと思っているのか 給料が高ければ能力が高いと思っているのか 学歴が良ければ賢いとでも思っているのか 意識すると吐き捨てたくなることばかりだが、これらについて聞かれたとき、僕の頭は無意識に防衛心を張り巡らせる、そして時には我が身可愛さに信念に反して嘘を

          旅に出て初めてメンサで良かったと思えた話

          僕はメンサという、いわゆる高IQのコミュニティに入っているのだが、日本では大して活用してこなかった。精々ボードゲームをしたりクイズをしたり、社会人クラブという感じで、仲の良い友人が数人できた程度であった(それだけでも十分なのだが)。しかし、メンサは国際組織、旅に出るのに使わない手はないとそのことを相談すると、各国の人がその国を訪れた人をコーディネートしてくれる仕組みがあることを教えてもらった。 そして、シンガポールやマレーシア、インドでメンサの人たちにあった。 インドでは奨学

          旅に出て初めてメンサで良かったと思えた話

          怒りの矛先

          インドのチェンナイという街で、外国人だからという理由で予約したホテルを3度も追い返されて、炎天下の中4時間も歩いていた。そうして街なかで歩いていると珍しい動物でも見るような眼差しを向けられた。そして道行く子供にズボンを指さされbaggieと呼ばれた。 僕はこの日、もうインドなぞ懲り懲りだと思った。しかしこの前日、僕はインドのメンサ3人と会っていた。インドメンサが貧困層のギフテッド教育プロジェクトを行っている話をしながら一緒に食事をし、僕の要望でインド工科大学マドラス校を案内し

          無能な善意が人を貶める

          ハンロンの剃刀という言葉がある。曰く、無能を悪意と取り違えてはいけないというやつだ。善意か悪意かは、その能力と本来なんら関係はない。にもかかわらず、誰かの言動に際して不利益を被ったときに、人はそれを悪意と見なす傾向がある。悪意であることもあるだろうが、大抵は無能で十分に説明がつくケースが多い。おそらくそれは、できるからやる(I can therefore I do)という言外の了解に立っていることが一因なのだろう。 しかし、もっと厄介なケースがある。 それは無能な善意だ。 こ

          無能な善意が人を貶める

          亜変

          みんな何かに酔っている 酔ってなければ見てられない 少し変わっているだけで 差別と区別を行き来する ああ偏屈な人たちよ ここが私の阿片窟 誰もいないこの場所から 世界をこの手でケシとばす 不要な私のあふようよ 今宵も君とかく酔うよ

          同情と心配の帰属意識

          台湾で大きな地震があった。友達が心配で連絡をした。旅をしていると云うので、日本にいる友人が僕に心配のメールをくれた。しかし、どうして、日本にとって台湾の地震はそれほど心配の種になるのだろう。どうして東北大震災とモロッコの大地震では同情と心配の度合いが違うのだろうか。 これはおそらく単に想像力の範囲の問題だ、そしてその想像力の範囲は僕らが知らずのうちに植え付けられたものだ。 この間会った人が言っていた。一緒に寝た女がいる国にミサイルを打てるか、風俗業は世界を救っているんだと。

          同情と心配の帰属意識

          耐力

          自分の身体のどこにこんなに体力があったのかと、旅に来て驚かされた。ラオスから深夜バスで12時間の陸路の国境を越えバンコクへ到着し、宿まで2時間半の道を徒歩で移動し、カフェで3時間ほど読書とコーディングをし、デパートで買い物をして、ホステルに戻り、インドへの出発の準備をしている。サッカーを15年くらいやっていたが、持久走ではいつも後ろから5番以内だった僕とは到底思えない。自分への認識などその程度、のものなのだろう。

          加害者になる覚悟

          なにかの信念は主観的な枠組みから完全に這い出る事はできない。どんなに大層な主義もそれを捉える人の信仰をその部分に負う。完全無欠な考えなど存在せず、すべての情報が出揃うことなども決してない、それでも僕らは何かを変えるために、何かを与えるために、決心や決断を迫られる。僕らは加害者になる覚悟を持たないといけない。自分がどんな思想の共犯なのか、どんな行為の犯罪者なのかを自覚しないといけない。そうした上、それでもなお、為したいという思いがあるのならとことんやるべきだ。加害者にすらなって

          加害者になる覚悟

          セックスをせずに進撃の巨人の名言を聞きながら帰った夜

          今のところ、今回の旅で最大の挫折だった。知り合った人に、女の子が裸で踊るバーに連れて行ってもらった。感動が止まらなかった。こんな場所があるんだと膝を打った。月並みだけど、今までここを訪れた日本人が同じことを思ったであろうことに思いを馳せながら、ラップダンスをするかわいい女の子と話していた。ただ、僕はその人と一夜を共にできなかった。臆病風をふかした、わけではない、むしろいい経験だと思ったし、身体は乗り気でもあった。それでも、最後は独りで帰路についていた。帰り道、オフラインに入れ

          セックスをせずに進撃の巨人の名言を聞きながら帰った夜

          属人化と自助努力を要しないシステム

          もっとも美しいシステムは属人化と自助努力を要しない。誰かに依存しているシステムはその人物の代替不可能性ゆえに、簡単なことで機能しなくなってしまう。一時の首相が暗殺されても国が転覆することはないが、タレントが死ねばオンラインサロンは閉鎖する。さらに、そのシステムを使う人に努力を要する、つまりは性善説を前提としたシステムはダサい。誰かが用を足したあとに便器の蓋を閉めるように呼びかけるのではなく、自動的に閉まるトイレを開発しろみたいなことを云っていたが、まさにこのことである。

          属人化と自助努力を要しないシステム

          素敵で陳腐な臭い信念

          久しぶりに、嬉しくて泣いた。台湾の旧友が色々話を聞いてくれた。マレーシアの大学の同期に連絡をとったら会って本当に優しい言葉をくれた。マレーシアで知り合った人は最高にもてなしてくれて君と会えて良かったこれからもよろしくと云われた。シンガポールで出会った人は初対面の僕に本当に優しくしてくれた。月並みだけど、世界は広くて、僕らは独りではなくて、どこかには助けてくれる人が必ずいる、そして人に優しくするのに理由は大して必要ない。今のところ、これが一番学んだこと、かな。必ず持ち帰りたい、

          素敵で陳腐な臭い信念