渡り鳥のためいき

車輪の再発明的な文章だが、書かずにはいられないのでここにおいておく。
特定の技術の登場による未来予測には面白さはあるもののかなりの限界がある。極端なユートピアやディストピアの想定は人間存在を見直すうえで重要であるものの、線形思考に基づいたそうした未来は到来しずらい、むしろある地点における予測を技術が発展するたびに更新しておくべきだ、渡り鳥のように。ただ、問題は技術の発展が早すぎることでこうしたスクリーニングがなされる前にあるシステムがそうと知られる前に社会に敷衍してしまい、取り返しのつかない変化を及ぼすことだ。もっというと、無能なバカが力を持ってしまい思わぬ方向に人々をドライブしてしまうことにある。が、これが賢い人がそうでないかというとそうでもない。だから、ほんとに賢い人は社会から離れ、世を拗ねて、仲間とひっそり穏やかに暮らしていく、というようなことになる。

進撃の巨人で、アニが云っていたセリフが思い出される。

「この世界では、巨人殺しの術を身に着けた人ほど巨人から遠ざかることができる。」

どうしたら良いだろうか。


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