善意の出汁

善意にもする人とされる人がいる。善意は行う主体にとっての善だと感じられるものであり、善意を受ける人にとっての善であるとは限らないが、善意を行う人にとっては関係がない。しかし、善意であるという態度が認められると、それを断ること、受け入れないことは無礼であると考える人がいる。善意なのに無下にするのか、と。だから善意は悪意よりも押し付けがましいと感じる。ただ、善意自体は否定しない。むしろ、好ましいのだろう。必要なのは善意ー被善意のマッチングだ。する善よりされる善、という善の形もあるのかもしれないが。

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