見出し画像

百五円の恋

書ききったら本当に終わりになる気がするから、書くことが出来なかった。

あれは消費税率が8%になる前に終わった恋だった。つまり2014年より前の出来事である。

彼は、私が一目惚れしたあの人は、総合格闘技のプロ選手だった。階級はバンタム級。しかしながら負けっぱなしだったらしく若くして引退を決めたらしい。

あの人が引退した頃に私たちは交際を始めた。
あの人は契約社員をしながら格闘技をやっていたので、定職に就くことを考えていた。あの人が目指したのは理学療法士である。ご両親から学費を援助してもらい専門学校に通い始めた。入試の問題を見せてもらったり、無事に合格して入学してからは英語を教えたことを覚えている。

ある日「僕が一番かっこいいところ見たくない?」と言われたので「別に見なくていいよ」と答えた。
そのまたある日、彼の部屋に行くと顔に怪我をしていたので「どうしたの?」と聞くと「練習に行ってしまった」と答えたので「本気で勉強するんじゃなかったの」と言ってしまった。

「他の全てを投げ出してでも良いから今は勉強を頑張ってください」と言った私は、かなり酷い女だったと思う。これは私が高校時代に教師たちから言われた台詞だった。あの人の次の夢が叶うのなら、私は投げ出されてもよかった。

東日本大震災の頃、私たちは一緒にいた。阪神・淡路大震災を経験していたあの人は人生で二度目の大地震にショックを受けて、電車に乗るのが怖くなってしまった。そういう訳で休日のほとんどは自転車で一緒に出かけた。渋谷、下北沢、中目黒、時には新宿や高円寺にも行った。

私たちは自転車で3分ほどの距離に住んでいたけれど、だからこそきちんと泊まったことはなかった。あの人はお風呂のないアパートに住んでいたし、お手洗いは和式だった。終電を気にしなくて良かったので、あの人の作ったご飯を食べてベッドでうたた寝して慌てて帰る日々を繰り返した。

私は思い切ってプロポーズしたんだ、「ねえ、もう一緒に暮らさない?その方が節約になるし、私はこれからお給料も上がっていくし養うことも出来るよ」と。あの人は「僕が養えるようになるまで待って。東京がつらかったら地元に帰ってもいいよ。世界中どこにいても探しに行くから」と。嬉しかったけれど、やんわり断られたのだと私は思った。

「いつか僕の地元で一緒に暮らそう」と言われて、YouTubeで海の見える道路の動画を何度も見た。関西弁を覚えてね、と言われた。あの人は接客業をしていたから東京弁で喋っていた癖にね。

「30歳まで付き合っていたら結婚する」と言われたけれど、今すぐに欲しい女ではないのだなあと思って悲しくなった。そうして私は逃げてしまった。

別れたのは出会えたからって分かってるけど、出会えたせいでいつまで終わらせることが出来ない。

彼の名前で検索すると、若い頃の格闘技の写真が沢山出てくる。ああ、私はなんて酷いことをしたのだろうと思う。あの人の一番かっこいい姿を見ておけば良かった。そうして、夢を諦めなければならない中で、まだ夢の途中にいた私と一緒にいたことはひょっとしたら苦しかったのかもしれないと。

そうして「東京なんてうんざりだ、いつか帰るんだ」といつも言っていたあの人のFacebookアカウントを見つけてしまった。明らかに原宿にいる写真だった。まだ東京にいるのか、たまたま観光で東京に戻った時の写真なのかは分からない。

不謹慎だけれど、毎年3月11日になる度に私のことを思い出してくれているのかなあ、なんて思っていた。きっと忘れていると思う。お願いだから忘れて欲しい。私はずっとずっと忘れないけれど。
遠い遠い国から東京に来て周りのひとたちから「東京から逃げても良いんだよ」と言われても逃げることが出来ず、独りぼっちだった私とずっと一緒にいてくれたから。

あまり身長の高くないあの人は、時おり私を頭のてっぺんから押して縮めようとしていたっけ。並んで歩くと、私はいつもあの人の横顔を見ていた。見ることが出来た。全てが過去形だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?