怒りと否定の裏側にあるもの
こんにちは!
実はガーデニングすることが大好きなかなちゃんことぬくぬくママSUN'Sの中村香菜子です。
さわやかな5月いかがお過ごしですか。
週末は運動会もたくさんあったようですね。
私も小学生最後の運動会行ってきました!
コロナ禍もありましたが、13年間の小学生の親生活も最終学年となりました。
今日のnoteの題名は「怒りと否定の裏側にあるもの」にしてみました。
今まで、怒ったり、誰かを否定したりしたことはありますか?
「ない」って人は、なかなかいないのではとは思います。
子育て中の人は、子どもに叱ってしまうこともあるでしょう。それを悩みに思っている人もいるかと思います。
「相手の為を想って怒っている(叱っている)」
という言葉もありますが、あれも本当なのかな?
それでは、怒る、否定する、ではなく、
怒られる、否定される、に変換したらどうでしょう??
今まで、怒られたり否定されたりしたことって、ありますか?
その時、どんな気分ですか?
そのあと、その人に対してどんな感情を抱きますか?
私は、怒られたり、否定されたりするのが、とっても苦手です。
怖いし、嫌な気持ちになり、
その人の言うとおりにしたくないなと思います。
また、怖いからその人の言うとおりにしなきゃとも思います。
私も、子どもが小さい時はたくさん子どもを𠮟り、怒り、否定してきました。
「なんでそんなことしてるの?!」
「やめなさい!」
「人の気持ちを考えなさい!」
など、いろいろ言いました・・・。子どもたちが小さい時は怖いママだったと思います。
長女に
「お母さんはいつも私を否定する」
と言われたこともあるし、長女が小学生の時に作ったお話などにでてくる「お母さん」は、いつも怖い感じのキャラクター設定でした。
きっと、末っ子が赤ちゃんのワンオペ育児で、必死で生きていたからそうなったのかもしれないです。
その時の私は、本当に未熟で、幼かったと思います。
自分の中の正しさを主張することを当たり前とし、
それ以外の考えや価値観があることも知らなかったと思います。
怒ったり、誰かを否定したりしてしまうとき、その裏側には何があると思いますか?
それは、「相手をコントロールしよう」というその人の意志だと思います。
右だと言っていることを、怒って「いやいや左だ!」と言うということです。
どうでしょうか。そんな経験はありませんか?私はたくさんあります。
でも、42歳の今の時点では、気づいていることがたくさんあります。
自分の見えている世界が全てではないということ。
わからないことがたくさんあるということ。
それでも、いつも私は自分のベストを尽くすということ。
そして、なるべく怒らず、許そうと思っています。
誰かの選択肢によって、自分が傷つくことや迷惑を被ることはほぼないと思っています。
それは、「課題の分離」というやさしさを知ったからです。
私は、誰かがこう言っているからこうしようというような、他人軸で生きることもやめました。
人のためになることは、「利他」とも言います。
利他の気持ちで、自分のやりたいことを貫きたいと思っています。
そして、なるべく、ひとつ深呼吸をして、「怒らない」
「許す」
ことです。
誰を許すか。
それは、一番、自分を許したいです。
その次に他者を許します。
他者を許して自己犠牲しないことがポイントです。
ピアノを弾いて歌を歌っているととても心が癒されます。
自分は誰なのだろうって、いつも思っています。
42年も生きてくると、いろいろなことがありすぎて、自分がますますわからなくなってきます。
でも、小学生の時の私が、やっぱり私なのだと思います。
母になっても、社会で様々な立場があっても、
まっさらの自分を思い出して、その自分のまんま生きていきたいです。
怒りで、誰かをコントロールしようとするような闇にのみこまれないように、気をつけていきたいです。
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