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「自殺してはならない」は本当か?

「自殺してはならない」という命題について考える。
宗教的な文脈において、死そのものに関して、さまざまなシナリオを描くことはたしかに可能である。例えば、死後の生として天国と地獄が存在し、死者は生前の行いに応じてそれぞれの場所に位置付けられるというように。そして、ダンテは神曲において自殺者を地獄に落としている。なお、現代のカトリック教義において、「教会は自殺者のためにも祈る」とし、自殺を罪とする原則を緩和している。
しかしながら、そのような宗教論を持ち出さず、現世かぎりの議論をするかぎり、実際にはこの命題は実証できないと考える。
なぜなら、死そのものは同一人物において対照実験が不可能だからである。また、死がいわば永続的な眠りのようなものだと仮定すれば、それは意識が無くなることであり、したがって安楽の境地でもなければ苦痛の状態でもない。単なる無である。それゆえ、現世的な価値判断を密輸入しないかぎり、自殺の善悪は原理的に知り得ず、いわゆる無記であると考える。
したがって、「自殺してはならない」という命題は、合理的判断を装った現世宗教の一種である。たしかに、この宗教を最後まで信じ抜くことは無意味ではないだろう。しかし、その信仰を棄てた者を死から思い止まらせることはできないのである。

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