不登校の生徒のキャリア形成について

結論から言えば、不登校の生徒は、独立・起業・フリーランスの形で働くことがお勧めです。

そもそも、不登校の生徒は学校が合わないと感じているからこそ、そこに行くことができなくなっているはずです。そして端的に言えば、日本の教育制度において、学校は会社であり、会社は学校です。その二つの施設はパラレルの関係にあります。

従来の学校には、近代国家建設の装置としての、旧態依然とした不合理な側面が多々ありました。不登校の生徒は、習慣的に何となく毎日登校している生徒が多数いる中で、直感的にそのような側面を感じ取って、学校にNOを言うことができた人間です。

したがって、不登校であるならば会社に属さないという働き方、つまり、独立・起業・フリーランスが適している可能性があると考える次第です。

今はクラウドワークスで、例えば講演の文字起こしやデータ入力など、アルバイト感覚で出来る作業がたくさん並んでいます。たしかに、生計を独立するに足る額を稼ぐためには不足かもしれません。しかし、1ヶ月に数万円稼ぐくらいなら、志ある中学生・高校生ならば十分に手の届く範囲内であると思います。

また、その延長線上で、せどり、動画編集、プログラミング、webライティング等の技術を身につければ、経済的独立も可能です。

とはいえ、不登校の経験は、個人差はありますが、一般的には過酷なものです。たしかに、不登校の数は増え続け、また不登校への理解も一応進んで来ている現状はあります。しかし、未だに不登校は、例えば一クラスに1人程度の少数派にとどまります。一般論として、少数派の属性を負うことは、同調圧力が強く、集団主義的な日本社会において、裏道を行くようなものです。

居場所が見つからず、目的意識を失ってしまい、茫然と日々を暮らしたとしても、不思議ではありません。学校に行きたくなく、あるいは行きたいのに行けず、その結果、辛い思いをする生徒はたくさんあります。

不登校出身者のわたしは、大げさに言えば、そういう生徒のすべてに対してではないにせよ、一部分だけでも良いから、未来への希望を差し示したいのです。

ただ、現実に「フリーランスで仕事をしましょう」と提案しても、行動に移せる中高生は少ないものと思います。その理由について不登校の心理・生活面を深掘りして考えてみます。

わたしはかつて夢と目標を持つ「積極的不登校」について語りましたが、実際には学校抜きでそのような未来志向の生き方ができる生徒は少ないものです。この点でも、学校が中高生に占める存在感の大きさを感じます。つまり、学校抜きでは生きにくくなってしまっている点で、日本は学校化された社会なのです。

いざ何らかの原因で不登校になると、家の中で過ごすことになる以上、長い暇な時間ができます。その時間をどのように使うかが不登校の行方を左右します。

大切なのは、学校に1日通うよりも楽しく元気になるような生き方をすることであると考えています。

不登校の生徒は、先にも述べたように、学校からの疎外感を苦痛に感じ、その結果、現実の苦しさのはけ口としてゲームに熱中するという現象が見られます。これは、ゲームでもアニメでもYouTubeでも同じことです。

では、不登校のままゲームをやっているのは、良い時間の使い方でしょうか。たしかに、ゲームから得られるものがその場かぎりの楽しさに過ぎないと言う意見も成り立つでしょう。
しかし、わたしは、ゲームそのものは善でもなければ不善でもない、単なる道具であり、現代のエンタメの一種であると考えています。
そもそも大切なのは、勉強とゲームを二項対立で捉えることではなく、人生の目的に沿った活動を行えているかどうかで現状を評価することです。

結論として、わたしは不登校の生徒にゲームは飽きるまでやらせるのが良いと考えます。

たしかに、ゲームはプレイするだけでは直接的に職業に結びつきにくいという事実があります。(職業としてのゲーマーが若干名日本には現れて来ましたが、まだ草創期の世界のため、再現性のある将来設計にはなりにくいと言えます)

しかし、世の中、ゲームに関係する仕事はたくさん存在し、それらへの興味関心を育むことができる点、ゲームそのものは教育的な意義を持つと言って良いでしょう。それはアニメでもYouTubeでも同様です。

ただし、過ぎたるは及ばざるがごとしです。熱中は教育的に尊いことであり、それによって独自の自我や価値基準が形成されるのですが、昼夜逆転し、真夜中になるまでやるのはやり過ぎです。したがって、ゲームの時間には何らかの制限を置くのが良いでしょう。
ただし、その時間は、十分にゲームの世界を楽しめるほど長くするべきです。

話を戻すと、不登校の生徒にとって、ゲームやアニメやYouTubeは、不登校の苦痛のはけ口となる唯一の居場所になり得る場合が多く、したがってそれを取り上げてはいけないということでした。

とは言え、例えばいつまでもYouTubeだけを見ることで生活をしていることができないことは明らかです。では、そのような不登校の生徒はどのように成長していけば良いのでしょうか。

大切なのは選択肢を知ることであると考えます。その際に役に立つのが知識です。Amazonで調べれば、不登校関係の本がたくさんあります。こういう本には、かつて不登校であった当事者や、また支援職の関係者の経験則や知識がたくさん詰まっています。そういう本を読むことはお勧めです。

また、学習面で言えば、塾・予備校・家庭教師等の従来の選択肢もさることながら、現在は「スタディサプリ」で安価に授業を見ることができます。また、分からない点があれば、Yahoo!知恵袋などで質問することも可能です。この点、スマホがない時代に比べて、不登校の学習環境は格段に整備されました。

仕事の面で、独立・起業・フリーランスという選択肢が有力であり、中高生でもクラウドワークスでアルバイト感覚で仕事が出来ることは先にも述べたとおりです。

不登校の生徒が直面する課題として、学習・仕事の二つがあり、これらは上記に述べた形で解決することができます。不登校の生徒は、学校に毎日通っている普通の生徒よりも、学力を伸ばすことができ、また大きな仕事を行うこともできるのです。

したがって、不登校であることの苦痛や疎外感は、ある意味で錯覚と言うこともできます。不登校で家の中でいたまま、1人で学校や会社のオルタナティブとなる働きをすることができるのです。

それゆえ、不登校の未来は前途洋々です。学校に戻るにせよ、学校に戻らずに1人でやって行くにせよ、選択肢は数多く存在します。未来志向で思考・行動を繰り返すことができる限り、不登校であることは積極的な選択肢なのです。

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