見出し画像

「気分は選択できる」ことを知る

こんにちは、ヌキフラです。
最近はこういう記事を書いていなかったのですが、ふと思い立ったので書いてみます。
お読みいただいて、小さくてもなにか心の琴線に触れるものがあれば幸いです。


テーマは
【「気分は選択できる」ことを知る】です。


まだ私が10代の時ですが、私は周りのみんなに比べて、ものを盗まれたり、陰口をたたかれたり、人に裏切られたりして「ついてない」「サイアクだ」「なんで俺ばっかり」と思うようなことばかり起こりました。

「まさかこうはならないだろう」と心配していたことすら身に降りかかりました。
私は、たくさん悩み、頭を抱え、そして最終的には「俺は誰からも愛されることはない」「幸せになることはできない運命にあるんだ」などと考えるようになりました。
周りのみんなと同じくらいの幸せを求めるから苦しかったんです、不幸な自分でいることのほうが楽だったんです。

しかし今の私の身の回りを冷静に見たらどうでしょう。


私を愛してくれる妻がいます。

私の帰りを毎日からだ全体で喜んでくれる愛犬がいます。

こんなどうしようもない私とでも腐れ縁で付き合ってくれる友がいます。


当時は絶対にかなうことのないと思っていた環境にいます。
それは当時と今とでは単に、運がよくなり、嫌なことが減り、幸せなことが舞い込むようになってきたということなのでしょうか。



「気分は選択できる」

認知行動療法の本では「感情や気分は受け取り方を変えることで選択できる」ということが書かれています。

前向きな気分のときは積極的な思考と行動が生まれ、暗い落ち込んだ気分のときは何もする気になれないのはだれしも同じ。ただし、気分は自分次第で変えられます。

最初は半信半疑でピンときませんでした。
だって悲しいときは悲しいですし、イライラしているときはやはりイライラしています。
むかつく相手には嫌みの一つでも言わないと気が済みません。

画像2


気分とは概してそういうものなのであって、起きてしまう悲しさやイライラを「我慢」することはできても、別の感情や気持ちを「選択」することなどできやしないだろうと思っていました。

そんなことを思いながらも、色々と調べていくうちにある臨床心理士さんの言葉を見つけました。

イライラが募っているとき、あなたは“イライラすること”を選択しています。なぜイライラを選択するのでしょうか? それは、怒りがもっとも簡単で表現しやすいからなのです。冷静さを失っていると、「気分は自分で選択できる」ことを放棄しがちになります。
では、どのようにして冷静さを取り戻せばいいのでしょうか。それは、物理的にクールダウンすることです。文字通り「頭に血が上って」いる状態では、交感神経が高ぶっている状態にあります。冷たいものを握ったり、頭や体に当てたりして、冷静さを取り戻します。

このことから冷静になれという意識を持つことが大事だと感じました。
怒りを持つ自分を客観視して、「あ、これ今オレ怒ってるわ」と幽体離脱でもしているかのように客観視するように意識しました。それでも収まらないようなら「逃げる」ことにしました。ここはアンガーマネジメントという部分の話になるので今回は割愛します。


私のやり方


ようやくですが、最近になり私は「気分は選択できる」ということを実感できるようになってきました。

私のやり方は「事実」と「解釈」を分ける、というものです。
これは、サイボウズの青野社長の会議のスムーズなやり方から学んだことなので、話し合いや会議にも使える考え方です。

画像1

例えば、「サッカーの試合に負けた」。これは事実です。当然落ち込みます。
しかしなんで負けたのかを考えたとき「最後まで走り続ける体力がなかったからだ」と答えを出します。これは解釈です。

人が「事実」に対してどう解釈するかは人それぞれです。
本当はチームとしての組織力が足りなかったのかもしれない。
本当は決定力がなかったからかもしれない。
そこに明確な答えはなく、他人にとっての解釈はその人にとっては正解なので、そこを議論しても平行線を辿るだけで時間の無駄、だから解釈に対しての意見はしない!
という考え方です。

ここから派生して考えたことは、「事実」に対して「どう解釈するか」は自分で決めてるんだということです。


先ほどの例で言うならば、
① 自分がミスをしたから負けたんだ ⇒落ち込む
② 負けたけどそれはもう過去の話。レベルの高い相手とぎりぎりの緊張感の中で試合に出れた ⇒うれしい

いわゆるポジティブシンキングというやつですね。
相手がいることならば相手の嫌なところを見てしまいがちなのを、別のところ、その人のいいところでも良いですし、まったく別のポジティブなことを見ようという意識です。
また、相手の悪意が自分に襲い掛かっても、「相手もこういう事情があるんだな」と思うように意識しました。(アサーティブコミュニケーションのひとつです)


そう意識するようにしても最初はイライラしてしまう自分がいました。
それでも続けていくうちに、「前は同じことを言われたのに怒りのボルテージがそんなにあがってないぞ・・・?」と思う自分がいました。
その時に特段「幸せだ」とか「幸福だ」と感じることはありませんでした。
ですが、いつの間にか相手を見るところが変わっていたのだと気づいたのです。


そう、そのとき私は確かに「怒り」ではない気分を選択したのです。

画像3



良いことも、連鎖反応を起こすということ

私はこれまで、自分は「幸せにはなれない運命」だと信じていました。連鎖的に起こるのは「悪いこと」であり「良いこと」なんていうのはごくまれにやってくるものだと。

しかし、意識的にでもいいので負の感情が現れなさそうな「良いところ」「幸せになれるところ」を注視するようになると、これまでネガティブな感情が生まれていた「事実」にも「幸せ」が隠れていることに気づかされます。

また「幸せ」に気付けたとしてもなお「やっぱりむかつく」という感情が大きいこともあります。それでもほんの少しは「心が選択的に幸せの感じられる方向へ進む」ようになるのを実感できるようになるでしょう。

少しずつでもその「ちいさな幸せ」を「探し見つける能力」を磨いていくことによって、あなたの周りには「ちいさな幸せ」がたくさんあふれることでしょう。


それはあなたが、

良いところや幸せを探す能力
嫌なことから上手く目をそらす能力
幸せの感じる方へ自分の心を導く能力
感謝の気持ち

を身につけ、「気分を選択できる」ようになった証です。

どんなときでも「幸せを感じながら生きる」ようになったらやっぱりうれしいですよね。


最後に

不幸だと思い込んでいた高校生の時に、教師に言われた言葉を今でも覚えています。
「10年や20年生きたくらいで人生を全部知ったようなこというんじゃねえ」と。
その時は「いやいや俺は分かったんだよ、不幸に変わりないんだよ」と思いましたが、今思えばその通りだったとずっと感心しています。
だから悩んでいる若い方には同じ言葉を送りたいですね。


冒頭で「幸せになれない運命にある」と書きましたが、「運命は決まっている」というのは今でも信じているんです。
あと何年生きられるかは分かりませんし、大切な人を失うことだってあるでしょう。きっと空によってそれは決められている。決められていて変えられないことはしょうがない、だったらどう捉えてどう生きるか。

画像4

高校生の時に読んだバガボンドのワンシーン。今もずっと心に残っています。そう、自由なんです。


つらいと感じながら生きていても死にたくなるので、どうせなら幸せに生きたいですよね。生存本能があるので生きたいと、そう作られているはずですから。


どうせ自由なのだから、私は幸せになる道を選ぶ。



以上、私が生きる上で大切にしていることでした。

あなたにこの記事を読んでいただけたことが私にとってはとても幸せなことです。

お読みいただいて感謝申し上げます。

スキをいただけるだけでも励みになります。Twitterをやられてる方はフォローお願いします🤲愛に報います😍