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僕の「へき」なんて、所詮そのていど。

さっき、小説のカバーを外した。

つくりものの世界と、大好きな紙のてざわりを楽しんでいる最中に、プラスチックを思わせるカバーはどうにも邪魔だった。イラストも販促の帯も悪くはなかった。ジャケ買いではない、と言い切ることも難しい。それでも、仕事をしたデザイナーには申し訳ないけどカバーは本当にいらなかった。世界観に浸ることと同じくらい、僕は「紙」を求めているからだ。

最近は、映画化する小説も少なくない。映画館やパソコンの画面でそれを楽しむのであれば、それこそ本の紙質もカバーの質感も関係ない。紙にどれくらいお金をかけたかによって、作品の質や感動のレベルに差が生まれるとも思えない。それでも僕にとっては、紙が大事なんだ。

電子書籍も、仕事以外ではほとんど購入しない。作品やそこに描かれる世界、そして作者への敬意を考えれば、それをデータで手に入れたり、中古で済ませたりすることも気が引ける。なんとなく、「手に入れた」と思えないことが大きいのだと思う。データに感動させられてなるものか、という謎の誇りもある。

家にはたくさんの紙の本があって、それらすべて購入したときに紙ざわりと鼻ざわりを確認済みだ。鼻ざわりとは今思いついた言葉だけど、つまり「匂いを嗅ぐ」ということ。紙の匂いもたまらない。早稲田や神保町の古本屋に充満する例のカビ臭い匂いなんてもう、尚更。店主が気にしないのであれば一日中そこで仕事してたいくらいだ。休憩中、いつもは読まなそうな黄ばんだ古本たちを指先でもてあそんだり、熱っい珈琲をオカズにその黄ばんだ紙たちを鼻先で蹂躙してやりたい。

そんなだからさっき、カバーを外してやったのだ。今や僕に外されたカバーは、机の上で無惨な格好で横たわっている。

右手人差し指で右ページをさすりながら、中指で表紙カバーを支えるフォークボールの握り方のようなフォームで読むのが自分流なのだが、その両指で感じる質感が紙とプラスチックではあまりにも、チグハグ感があって、違和感を超えた嫌悪感が襲ってきた。少なくとも、たかがそんなこと、と思える瑣末なエピソードをこんなにも書いてしまうくらい、僕にとっては大きな出来事だった。

でも、実はその後に、もっと大きな驚きがあった。
ふと、小説を検索してみたら。

映画化するらしい。
広瀬すず。
関係ないじゃんね。紙質も、紙の匂いも。

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