181126_夕暮れ

土曜日の午後、ボヘミアンラプソディ。

 映画『ボヘミアンラプソディ』を観ました。

 日比谷の東宝で観ようと思って、ウェブ予約ができるようになった日の午後一時頃に予約サイトを開くと狙っていた午後の回はほぼ満席。二人並びでは最前列しか空いておらず。
 う~ん。ご飯もくっつけたいし、かと言って朝イチは避けたいし(このあたり意思が弱いのと、わたしまだ若いのかなあと思う)。映画を観よう、ではなくボヘミアンラプソディを観ようという話だったのでそれ以外のプログラムという選択肢はなしです。
 日本橋の予約サイトを開く。同じような状況。

 う~ん。あ、そうか。
 ボヘミアンラプソディのサイトを開く。東京の上映映画館一覧をパーッとみて、品川の映画館のサイトに飛ぶと、いい頃の回がありました。しかもまだガラガラじゃないか。
 良席を選びクレジットカードの情報を埋めながら、
「それにしても東宝は上手く広報してるなあ。立地がいいだけかなあ。それとも品川が下手っぴなのかな。」
 なんて下世話なことを考えていました。

 ツイッターを通して、鑑賞したひとの反応がとてもいいことはわかっていました。でもあまり興味はなく。
 というのも、封切りとほぼ同時に観てきた母が
「とっても良かった!とっても良かったよ!!」
「観る価値あるよ、観るんだったら音響の良い映画館が絶対いいよ!」
 と、大絶賛していたからです。

 その時わたしのこころは穏やかではありませんでして。
「ママが勧めてくれたものを素直にみて、同じように大絶賛するのはいけ好かん…かっこ悪い…。」
 と思うておりました。誰に対して格好が付かないのかは、わたしにもわかりませんが、とにかくかっこ悪いのです。
 加えて、カタカナで書かれた「ボヘミアンラプソディ」というロゴデザイン(オフィシャルの)が、なんか。なんっか好きじゃなくて。ちょっとダサいなあというか。

 まあとにかくそんなこんなで、かっこわるい&ダサいですから、そりゃあんま興味も持たなかった(持たないようにしていた)のですが、友人が誘ってくれたのを口実にして観に行くことができたのでした。


 強烈な映画でした。
 一秒たりともそのパワーは隙を見せることなく、スクリーンに目一杯映し出される映像と、音楽も声も日常音も含む全ての音を通して、こちら側へ訴えてきました。

 何を、でしょう。
 映画を観たのは土曜日の午後のことですが、まだ咀嚼しきれません。
 Queenの音楽性、フレディの音楽性、カリスマ性、フレディの生き様、はたまたそれらを通した人生の形…何をわたしは訴えられ、受け取ったのでしょう。まだ咀嚼しきらない。

 どんな映画を観たって(あ、アクション映画やどんぱちものとかを省いて)、勝手に自分との共通点を探して重ねてしまうものですが、
 生きることや自分自身と対面している今日このごろ、いつもよりもその重なりは大きく・響いてくることも多くて、
「やっぱり孤独は自由であり寂しいなあ」
 なんて思ってしまいました。

 もう一度見に行くときは、日比谷の席取り合戦に勝てるでしょうか。
 でもまあ、もし負けてもわたしには品川という懐の深い味方がおりますので安心です。

この度は読んでくださって、ありがとうございます。 わたしの言葉がどこかにいるあなたへと届いていること、嬉しく思います。