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創作の源流〜ライナーノーツ『花の声を聞く』

以前noteでも掲載した小説『花の声を聞く』を、朗読動画にしました。
読み手は音声合成ソフトVOICEROIDの伊織弓鶴くんです。

【動画】
ニコニコ動画 

YouTube 


【原作小説】

現在ネットで公開されてるもので一番古いのはpixivだと思います。昔ブログに載せたりしてたので、アカウント消し忘れたりしてなければ…(消したはず)


作品の変遷

この作品の大元は、高校生の頃雑誌に投稿した『エンジェル・トランペット』というタイトルの漫画作品でした。たしか16ページくらいの、秀ではなくいさら視点の話。
それまで投稿コーナーに名前しか載らなかったのが、この作品で初めて名前と作中のカットが隅っこに載って、嬉しかったのを覚えてます。これ以外の投稿作は後も先も特に興味のない恋愛漫画を描いていて、まったく手応えがありませんでした。

社会に出て「漫画を描くのが趣味」という話を人にするたび、読んでみたいと言われるのでこの『エンジェル・トランペット』を見せていたのですが、揃って反応は芳しくなく。今思えば世間話のノリからこれを出されたらなんとも言い難いでしょうね…
ちなみに人に見せる時は原稿のコピーを渡していたのですが、誰かに渡したきり返って来ず、元原稿も過去を消し去りたい衝動に駆られたときにまとめて処分してしまったので手元に残ってません。これだけは取っといてもよかったかも。

時が経ち、インターネットが生活に浸透するようになって『エンジェル・トランペット』をブログに載せてみようと思い立ちました。
とは言え漫画はだいぶ絵が古いし、それまでの間に掘り下げて描いてみたいことがモリモリ出てきたので主人公をいさらから秀に変更し、文章でリファインと相成ったわけです。
ただブログでもそれほど読んでもらえたわけでもなく、通っていた小説教室も、こだわりの表現部分に「こんな読み方はしない、こんな単語はない」と指摘されてモチベーションが下がり、最短期間で辞めたりしていました。(指摘された部分は、自分が本で知って気に入ってた言葉を使ったので「先生もプロの小説家名乗ってるけど別に日本語の全部を知ってるわけじゃないんだ」と思いました。思っただけ。)

さらに数年後、いつの間にか描かなくなっていた絵をまた描くようになり、pixivにイラストや好きな漫画の二次創作を投稿し始めました。pxivには小説を投稿する機能もあって表紙も設定できる…なら自分の絵をつけて自分の文章を発表できる!やってみよ!ってことで、『花の声を聞く』に改題して再発表しました。
pxivは反応がなくても閲覧数がわかるし、Twitterの相互フォローさんが「面白くて一気に読んじゃいました!」と言ってくれたのも嬉しかったです。

……と、あの手この手で発表していた『花の声を聞く』ですが、この度、おそらく最終形態となる朗読動画を制作しました。
自分で描くにはしんどすぎる題材なので、漫画で描くことはないです。


きっかけは、名作との出会い

高校生当時、ある漫画を読んで衝撃と感銘を受けたのが『エンジェル・トランペット』を描くきっかけになったと思います。

山岸凉子先生の『天人唐草』です。
(現在発行されてるものは新装版のようなので、私が読んだものと表現が異なる箇所があるかもしれません)

新聞の書評と作品集の中のカット(『夏の寓話』のワンシーン)を見てものすごく惹かれ、急いで本屋へ買いに走りました。
表題作の『天人唐草』は、主人公の女性が厳格な父親に、事あるごとに「女とはかくあるべし」と言われて育ち、学校や社会に自己を適応できないまま破滅に向かう物語です。
他に4篇収録されていて、内ハッピーエンドは1篇だけなのですが、私はこの本を通して読んでなんだか安心するような、救われたような気分になりました。

最後の解説で、中島らも氏が「この本のテーマは『迷い子』である」と述べています。「解決などないままに、ざっくりと凍った断面を見せて物語は終わる」とも。
私にはそれが酷くリアルで、腑に落ちる感覚がしたのです。

少年漫画のヒーローや少女漫画のヒロインは、葛藤しながら成長して願いを叶え、あるいは幸せを掴むけど、現実に生きてる自分の物語はステージが変わっても苦悩を抱えたまま終わらない。だから、この本の主人公たちが失ったまま生きていくのを予感させる結末に惹きつけられたんだと思います。
中でも『天人唐草』は今で言う「毒親」を持ったが故の悲劇ですが、私自身も両親に対して信頼を抱けずにいました(これはその後、お付き合いする人ができてよその家庭を知ることで自分の家の歪みが認識できるようになるのですが…)
そうした大人に対する不信感をどう形にしたらいいのか、のヒントになったのが『天人唐草』でした。


救いたいのは

現在はもう親になる年齢になりましたが、もし子供がいたとしても、信頼される親にはなれなかったと思います。
私は十中八九、智也子のように子供を自分の闇に巻き込んで、日下部のように子供を守れた気になる側の大人です。マサエの対応が正しいのかも正直わかりません。過去に相手の女性関係が元で離婚したこともありますが、子供を置いて一人で家を出ていた可能性を考えます。

『エンジェル・トランペット』を執筆当時、求めていたのはおそらく『天人唐草』を読んだ時に得た救済感です。
今思えば育児能力が足りていなかった家に育った恒常的な不安を、少しでも発散して誰かに見てもらいたかったのかもしれません。


私の創作はいつも自分のためのものでした。
人に認められて何者かになれれば、この不安からも開放されるのだと。
その後10年漫画を描かなくなり、それなりの年齢になってまたペンを執り始めてもなお、根底にあるそれは変わらず存在しています。
そうして生まれたもののどれかが、また何かを求める他人の琴線に触れて、その人なりの感情を受け取ってもらえたら僥倖と、僭越ながら思うのです。


なので。
いさらとの最後の会話から結末までと、さらにその後の人生を、秀は何を思って送るのか。

この物語に触れた人の、それぞれのご想像におまかせします。

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