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ぐるりと四国旅日記 その6(完) 「大歩危・岡山」編

もう2022年も残り3日。今年の旅日記は今年のうちに、というわけではないが、流石に実際に旅してから2カ月を経過しているので、忘れないうちに完結させておこう。

10月の四国旅、5日目 最終日。15時過ぎに高知駅を発った特急「南風」。新鋭の2700系気動車で岡山まで3時間弱の乗車となる。

高知駅から御免、土佐山田までの間は高知平野の都市部を快適に飛ばす。このままのスピードでいけば岡山はもうちょい近いのだが、そうは問屋が下さない。全国の鉄道路線の中でも有数の峻険な山岳区間、四国山地越えが待っていたのだ。

案の定、土佐山田を発車すると車両の足取りが変わり、エンジン音も徐々に重厚になってゆく。かなりの上り勾配に加えて、右へ左へ振られる急カーブ、橋梁とトンネルの連続など、開通が昭和期までずれ込んだのがいちいち頷ける過酷な区間。

途中、小休止とばかりに高知県最後の停車駅・大豊を出ると徳島県との県境の長いトンネル、携帯電話の電波も途切れ途切れになる。

ようやくトンネルを抜けて、徳島県に入ると勾配が緩くなり、ほどなく吉野川の上流と右岸へ左岸へ縫うように並行する。

大歩危峡、小歩危峡、祖谷溪と少しずつ川筋が太くなり風景も変えるすばらしい車窓の区間だが、トップスピードで走り抜ける特急列車からはあっという間、写真をきちんと撮る余裕もあまりなかった。

徳島県内陸部の盆地に位置する拠点駅・阿波池田からはまた香川県との山越え区間だが、高知徳島県境にくらべればさほど苦しくなさそうで、サラッと走り抜け、いつのまにか瀬戸内側の讃岐平野へ。

こんぴらさんの琴平、四国八十八ヵ所の一つ善通寺と停まり、いよいよ予讃線と土讃線の分岐点 多度津駅に到着する。

つい3日前にも通ったこの駅をもって、四国をぐるっと回ったことになる。なお、「一周」としなかったのは室戸岬や徳島市など東側の海岸線ルートに、時間と体力の都合で足を運ばなかったことによる。いずれ再訪せねば。

多度津から宇多津のみ予讃線、そこからは往路のサンライズ瀬戸でも乗った瀬戸大橋線。ちょうど夕焼けの時刻と重なり、茜色に染まる瀬戸内海と浮かぶ島々がとても美しかった。

児島からはいよいよ岡山県、我が島本州に帰ってきた。(巨大すぎて同じ島だという意識はないが)岡山近郊の都市部を通り、中国地方の一大ターミナル岡山駅に着いたのは18時ちょい前。

ここから新幹線のぞみに乗り、一路東京を目指せば旅は完結なのだが、ひとつ旅の目的が残っていた。

岡山出身でいまも市内に居を構える同い年の友人Hとの、3年ぶりの再会である。

以前岡山を訪れた際には一泊してあちこち案内を受けたのだが、今回は行程都合もあり3時間弱。駅ビル内のレストランで吉備ボークのソテーを食べながらお互いの近況やあんな話こんな話を咲かせて、お土産を選んで、またもう少し話して、2023年のさらなる再会を誓い別れた。

ありがとう。また東京か岡山か違うどこかで会いましょう。

帰りに選んだ新幹線は、9月の広島旅行の際にも乗った、最終ののぞみ号。真っ暗な闇夜を僅か3時間ちょいで東京まで運んでくれるのは実に頼もしい。疲れが出て寝られるかと思いきや、いろいろ詰まった旅の思い出を反芻するうちにいつしか列車は品川を過ぎていた。

さて、今回の四国旅。サンライズ瀬戸のA寝台が何故か取れたことをきっかけにしたものだったが、旧知の先輩と友人との再会、各地の乗り鉄乗りバス、表情がそれぜれ違う個性的な海、山、まち、むら、温泉との出会い、そしてたらふく食べた山海の幸と、この上なく満足度が高かった。偶然にも「全国旅行支援」の適用期間に入ったことで費用も抑えられたし。

また、JR6社のうち経営環境の厳しい方に入るのが明白であるにもかかわらず、各都市間の特急列車と都市圏内の近郊列車を不便と思わせぬ頻度で設定して、さらに趣向をこらした観光列車による集客を図り、それらの列車群を使いやすくするための企画きっぷを数々発売しているJR四国と、それぞれの地域事情にあわせた運営を一生懸命行なっている、四国内の中小の鉄道バスの企業体には拍手を送りたい。

途中の道すがら、八十八ヶ所の遍路を巡礼する人達の姿もちらほら見られ、いにしえから他所からの旅人を受け入れる素地があるからか、各地での宿や飲食観光施設の方々のやわらかなご対応も実にうれしく、また再訪の機会をつくりたいと思わせる5日間であった。

ただ、夜行列車利用を前提とするのは年齢的にちょいと無理かな?(笑)


(完)

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