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私が大学教授を辞める理由

今年度末の2024年3月31日に大学を退職しました。後任には優秀で素敵な先生が研究室を引き継いで頂き、アカデミズムに対して思い残すこともなくなりました。

このnoteは「何故、教授を辞めてしまうの?(もったいない!)」といった疑問や心配への説明に加えて、研究職を目指す若い方々の希望にもなればと思っています。


大学でなくても研究ができる

研究職を目指している方、研究職をされている方は、企業や大学、研究機関に所属することが大前提であることと思います。研究分野によって異なると思いますが、私の場合は大学でなくても続けやすい研究がありました。

その場合でも重要なのが、共同研究の体制や習慣です。「他人の褌で相撲を取っている」と揶揄されたこともありますが、2つのスーパーCOE(京都大学先端領域融合医学研究機構・九州大学ユーザーサイエンス機構)に所属することで培った重要な経験でした。

子供の自由研究が面白い

長女の自由研究をアドバイスしています。1年生の時は最優秀賞、2年生では優秀賞と、市内の低学年でナンバーワンの成績を収めました。着想や実験などは主に子供(もしくは妻?)ですが、その解決方法をアドバイスしています。
大学にあるような数千万円単位の研究機器を使うとすぐに分かることが、素人でも入手できる範囲で実施することには苦難を伴い、ですが実に面白いです。Amazonなどで数千円単位で購入できる物品でも同様の結論を導くことができて、知恵を絞れば予算がなくても有意義な研究ができることが分かりました。
研究が好きな自分を再発見できたようにも思います。令和5年度は、コーヒーかすとキノコの廃棄部分を使ってキノコを発生させるという偉業も達成しました(その後、市内での最優秀賞、全国での奨励賞獲得!)。

教育も大学が必須ではなくなった

コロナ禍による影響が大きいですが、授業の内容をWebYoutubeに掲示するようになりました。そうすると、検索をして主体的に私の教えている内容を勉強する方が、毎日数十名も新しく訪問してくださるようになりました。
現在所属する大学では、特に国家資格などの受験勉強もないため、単位を取ることだけが授業に参加する目的となっている(≒理解する意欲がなさそうな)学生が少なくありません。

エンターテイメントのような集客のできるコンテンツではないため、独立しているブロガーさんやYoutuberさんのような収入を得ることはできません。ですが、やる気のある方、知りたい方に向かって情報発信したいと思うようになり、無償に近くても有意義なライフワークの1つとして捉えています。

以前は教壇での死を願っていた

前職では、国立大学を退職された先生方が80歳前後でも現役として教鞭を執られていました。学部長や学長経験者までおられ、まさしくレジェンドと呼べるような先生方で生き生きとされていました。自分も同様に、生涯教育者として現役を過ごし、人生の最後は教壇で倒れた後に(迷惑にならないよう病院にて?)息を引き取りたいと言っていたことを思い出させて頂きました。
現職では前述の通り意欲のない学生の前で過ごしているため、全くそのような気持ちはなくなってしまいました。最悪、倒れたことにも気付いてもらえない可能性まであります。ですが、現職とコロナ禍のお陰で、数多くのWebサイトや動画を作ることができました。これらのコンテンツが、本当に学びたい方々にとって、自分の死後も役に立つ存在になってもらいたいと願っています。

経済的な余裕ができた

一般的には独立のために最も重要な要素だと思いますが、私としては研究者であること、教育者であり続けることの方が大きく、これを概ね達成した2018年頃には選択肢として早期退職を考えるくらいに留まっていました。前述の通り、コロナ禍による影響が大きかったと考えています。

「教授の仕事は研究費を稼ぐこと」と言われることもあり(この考え方自体には、あまり賛同していないのですが)、「稼ぐ」対象を各省庁や自治体・財団など公的な補助金ではなく(つまり血税や善意であり「稼ぐ」とは違うと感じています)、民間企業の比率を高めることが独立の一歩になると思います。別のnoteで起業の方法も解説していますが、若い方々には是非「稼ぐ」研究者を目指してもらいたいと思っています。

娘が附属幼稚園を卒園する

3人の子供が大学の付属幼稚園にお世話になりました。末っ子の娘が2024年3月に卒園予定です。現在所属している学科の先生方に大変お世話になっており、退職の判断が先延ばしになっていたように思います。退職の2年半前(2021年10月)に学科長に就任したばかりの懇意にしている先生にまずは相談をして、退職2年前(2022年4月)に学科のメーリングリストにて先生方に意思をお伝えするという段階を踏みました。
あまり大きな理由ではないと思うのですが、退職をする適切な時期として説明しやすい免罪符としてお伝えしていることが多いです。

常勤でなくても大学の肩書が得られる

私にとっては、あまり重要ではないですが、お付き合いしている企業の方々にとって私の肩書が重要になることもあるかと考えています。例えば、九州大学の准教授から別の大学の講師職になった時には、企業の方々を中心に人が離れていったことを思い出します。私自身とお付き合い頂ける方を大事にしたいと思い、その頃にも続いた人間関係は今でも大事にしています。

九州大学の客員教授を務めていたことも含めて、常勤職でなくても大学の肩書が得られることに気付きました。上記の通り私自身は多少面倒な手続きもあり必須ではないのですが、必要に応じて大学の肩書を得ておきたいと考えています。

大学教授の拘束時間

企業の研究所や助教の時と比べて、格段に自由でストレスのない仕事環境であり、大変恵まれています。前職の講師時代から1室を使わせてもらい(現職では研究室含めて4室!)、給排水もあって冷蔵庫や電子レンジ等も置けるので、お茶や食事は自由にできます。バツイチ時代は大学で3食を済ませており、出勤というより自分の居場所とも言える空間でした。前職は多少固い雰囲気があったのでトイレに行く際にはネクタイを締めて真夏でもジャケットを着たりしていましたが、自宅でも全裸で動き回らないのと同様、慣れると不自由な感じはありませんでした。

授業の担当が多い私立大学でも、授業による拘束時間は1週間平均2営業日未満です。入学式などの式典に始まり、ガイダンス、教授会、研修会(拘束というより報酬?)、出前講義、研究発表会、入試の面接や監督業務など授業以外の業務もありますが、年間で平均すると1週間あたり1営業日未満になるのではと思います。つまり、週休4日以上と言えるかもしれません。
私は研究が趣味でもありますが、研究業績は昇進(≒昇給)にも必要であり、国立大学ほどではないですが、ある程度プレッシャーがあります。また卒論指導で学生が研究を進めてくれますが、連絡が通じなくなったり心を壊したりすることもあり、人生相談なども業務の一環になります。その他、各種委員会業務など、拘束はされていないものの責任のある業務が意外と多くあります。一般的な大学教員にとって、研究や教育等も含めると、起きている時間のほとんどが拘束時間と言えるかもしれません。

退職直前の正直な気持ち(2023年12月)

10年以上の現職で嫌な思いをした記憶はほとんどありません。特にコロナ禍に入った2020年だけでなく、その後も多くの会議がオンラインになったりと合理的で負担も減っています。しかしながら、退職を目前にすると些細な拘束や問題が心理的に重くなっている感じがして、退職を本当に待ち遠しく感じるようになっています。
「寝坊して遅刻したので最初から授業を聞きたい」という学生の対処、コロナ禍でもオンラインにならなかった共通テスト説明会参加(外気が0℃近くでも窓を開けて極寒の中19時まで拘束)など、これまでは「やれやれ」で済んでいたようなことが、死ぬまでに二度とこんな嫌な思いをしたくない、というレベルになっています。恐らく、先生方へのご恩や一生を保証してもらっているという感謝などが、それらの心理的苦痛を和らげていたと思うのですが(早期退職によって放棄する金額は研究費も含めて2~3億円程度)、その対価を細分化して1時間1万円だと考えると、報酬と共に苦痛や屈辱(と表現するほどの内容ではないですが)からも開放されたいと思うようになりました。
来年度も見えつつ引っ越し作業も急ぎ、通常業務だけでも激務である「師走」のこの時期、1日1日を焦りながら過ごしています。「早く自由になりたい!」と心の叫びが聞こえます。

総括:メリットがデメリットを上回る

私が大学を退職する際に心配して下さる主な内容は、収入、肩書、生き甲斐などでした。収入や肩書は前述の通り自分には必要なく(特に収入に関しては効率が良くなる?)、やりたい仕事のみに注力できるようになる日々を大変待ち遠しく思っています。
今後15年の自由を考える際、過去約20年の束縛が必要であったか?と考えると、必要のない苦労も多くあったように思います。パワハラに苦しんで職を転々とし、良いポストを得た際には過労で肺炎になって入院をし、体力や経済力がないことは離婚の一因にもなったとも思います。それら苦労のお陰で今があり、それを手放すのは「もったいない」とご心配下さる方々の温かい気持ちには大変感謝しております。「人生今からですね!」と仰って頂けることもあり、束縛のない約15年間を有意義にしていきたいと考えております。

大学退職後の展望

「大学を退職したあとは何をするのでしょうか?」という質問も時々いただきます。妻が代表を務める株式会社ユーザーライフサイエンスを中心として、今後も同様に研究活動を続けていく予定です。その他、諸々の活動はこのnoteの趣旨ではないので別途書きたいと思いますが、いわゆる「栄転」と解釈して頂けると嬉しいです。

大学退職後は、好きな研究を好きなだけできる状態になりますが、それだとモチベーションが続かない(研究をしなくなってしまう)ように思いました。今後の予定として、博士になりたいという夢を持っている娘のためにも、会社の発展に貢献したいと考えています。私の夢としては、子供達が役員を務めることができるような能力や人望を持ってもらって、株式上場を果たすことを目標としています。長い道のりのように思いますが、15~25年くらいをかけて、一歩一歩進んでいきたいと考えているところです。

大学教授が完全な終着点ではなかった

研究者を志したときから、教授になるのは1つの目標や夢でもありました。離婚前後で魂が抜けかかっているとき、「死ぬまでにしたい100のコト」を考えてみたところ、財産分与した残りのお金で豪遊することなどでもなく(そもそも出不精で人見知りなのです…)、その1つにも「教授になりたい」が挙がりました。
30歳で特任准教授となり、幸か不幸かPI(Principal Investigator, 研究を主導できる立場)として研究の自由を概ね獲得していました。若手研究者が目指すポジションとして「幸」なハズでしたが、その重責や多忙さで入院までしてしまい「不幸」な部分もありました。つまり、約20年間同じように「幸」せな研究生活をできてきたと言えます。
それでも教授を拝命された際は感無量で、それを察してくれたのか妻が「教授おめでとう!」と書かれたケーキで祝ってくれました。経営者の方に贈って頂いた花にあった「祝・教授就任」は、今でも仕事部屋に飾っています。研究人生の終着点の1つであったことは間違いありません。

もっと早く退職の決断や手続きをすべきであったように振り返ることもあります。ですが、夢を達成したからこそ見える景色もあるように感じることもあります。「もったいない!」と度々言われるのも、その景色は他の方には見え難いのかもしれません。今後の姿で「よかったですね!」と言っていただけるようにしたいと考えています。

大学退職後の心境

卒業式も終わり部屋の片付も終わり、物のない居室に多少の感慨に耽ることもあった年度末でした。しかしながら、紅麹事件に対するメディアへの対応を求められ、穏やかな日常から激務に一変しました。多くの新聞社やテレビ局には「来週には教授ではなくなるのですが…」と説明しながら、人生最後?の「教授」と呼ばれる日々を堪能しました。

事件に大きな進展がないからか、新年度に入って1週間くらいするとメディア対応も落ち着きました。ふと現実に戻ってみると、独立前と全く変わらない状況、気分でした。コロナ禍で在宅勤務も多く自宅での仕事環境も概ね整っており、いつもと同じようにパソコンに向かって研究に関する仕事をしている自分に気付きました。もしかしたら、じわじわと大学所属でないことを実感するかもしれないので、こちらのnoteも随時更新していきたいと思います。

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