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汚いモノから目を逸らさないで

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ネットでは人気のあるライターでデザインナーでフォトグラファーの人の文章。
内容をまとめようともまとめられない、でも綺麗な考え方だった。小さい頃から自分の世界に対する違和感とそれに抗おうとする自分。
自由をもとめて、自分を探しに、周囲から変な目で見られても自分はそれを貫く。かっこよくなりたいのではなく、ただそれが自分の好きな生き方だと。

全く響かなかった。

その生き方に対して何か文句があるのでもなければ、そんなの傲慢だ!とも思わない。その人は恐らく本気でそれが自分の求めてるものだと思っているんだろう。

ただ、その考え方は本当に自分のものなの?
人は生きてきて、触れた物事に影響されて自分の考えも変わったり求めるものが変わったり「真の自分」を見つけたりすると思う。が、その人の文字からは真摯さがまるで読み取れなかった。
真摯な心で書いていない、適当なことを言うんじゃない!ではない。恐らく誰かの真似をして、これは私の求めるものだと自己催眠しているだと思った。
具体的にどう違うか私は説明できない。真似しているうちに本当に自分の考えだと思い込み、真似している事実から背けると思ったのかな。

この人は綺麗なものしか見たくない、と感じた。

この世界は自分が望めばほぼ全てがキラキラした物にできるんだ!とても思ってるのかな。綺麗なものしか愛せないのかな。汚れている感情も全て「素敵な」ものを手に入れるための踏み台でしかなさそうだ。

読んでてとても辛くなった。

世の中の負の感情の味方だからだ。

負の感情だって存在する必要がある。汚れきった心だって愛し、愛される権利はある。何も求めるものがなくても「良い」人生になりうる。

無理して素敵になる必要なんてどこにもないのに、
この人は汚くなる自由を捨てた。

70億分の1の私を見つけてくれてありがとう。