見出し画像

苦しみはあなたを苦しめたいのではない

正解を他者に合わせると、自分が何をすべきか分からなくなる
自分がどうしたいのかも分からなくなる

自分の過去を振り返ってみたときに、この事実に深く納得したのであった

例えば「いい子」でいることは親や先生にとっては正解だけど
友達にとっては「いい子ぶってる」になって嫌われることがある

「まじめ」であることは親や先生にとっては正解だけど
友達にとっては「ツマラナイやつ」になったりする

はぁ、どうしたらいいんだろうって混乱するよね

親や先生に合わせるか?はたまた友達に合わせるか?
親や先生の前では親や先生に合わせ、友達の前では友達に合わせるか?

それができるほど、自分はそんなに器用なのか?

そうやって誰かに合わせたり、その場に合わせたりしていたら、「あなたはどうしたいの?」って聞かれても分からないのは当然だよなと思う

幼い頃の私は、こうやって合わせて過ごしてきた部分が少なからずあるし
いろんな人に合わせようとして失敗したこともある

ふと苦しくなる時はこのパターンを発動しちゃってるんだよね

あの先生とこの先生、言っていることが違うけど、どちらの顔を立てればいいのだろう、って勝手に考えて身動きが取れなくなったりしてね

私の思考のクセなんだなぁと改めて気付いたのよ

誰かの顔をうかがっていると「自分はどうしたい?」「私の目指す世界はどうなんだっけ?」をすっかり忘れてしまっている

苦しさが出てくるときは、何かに気付かせてくれる時なのだと思う

そなたの進む道はそっちか?
そなたの生き方はそれでよいのか?とね

あなたにもこんなことないかしら?
その苦しさを見られる場所を持っていようね


それでは本日も
”自分が一番の味方”な一日を♪


『 苦しさはあなたを苦しめたいのではない
  気付いてほしいだけ      』

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?