新米リーダーほど「教えてあげたい」という概念を捨てるべきな話

こんにちは。なのはなです。
今回は「メンバー育成」をテーマに、リーダーに成り立ての頃に犯した過ちと、その経験から得た教訓などを簡単に整理したいと思います。

新米リーダーが陥りやすい「罠」

会社の中で一定の成果を安定して出し続けられるようになると、おおよその人がマネジメントっぽい仕事を任されるようになります。

こうして新米リーダーが量産されていく訳なのですが、このフェーズになった人が最初に会社から任されるミッションは大抵「経験・知識が浅いメンバーの育成」。育成制度の中でも、OJT形式で新人研修を行ってる会社は多いですよね。

会社から、自分よりもその業務のことを知らない人を育ててほしいと言われる訳なので、個人的な考えかもしれませんが、新米リーダーが最初に味わう感覚って「教えてあげたい」ではないでしょうか?

少なくとも私は、今まで自分が頑張ってきたことが評価されたような気持ちから、後輩メンバーに対して色々教えてあげたい!と強く思ったことをよく覚えています。

当然、最低限の知識もなく0から育成する必要があるという状況の場合、その業務を理解するために「教える」ことが求められるケースはあります。

ただ、この「教えてあげたい」という感覚は非常に厄介で、育成経験が乏しい人であればある程、結果的にメンバーが成長しない「罠」になりかねないと、今振り返ると感じることが多いのです。

ではなぜ「教えてあげたい」という感覚は厄介なのか?
なぜこの感情がメンバーの成長を阻害する原因になりかねないのか?

「教えてあげたい」がもたらす弊害

様々な意見があると思いますが、私は「教えてあげたい」という感覚が、先に相手へ答え(考え)を押し付けてしまう状態に陥りやすくなると感じています。

そしてこの状態こそ、メンバーの成長が促進されない非常に大きな因子になりうるとたくさんの過去の失敗から学びました。

この現象と近いものとしては、学生時代によくある「基礎問題は解けるけど、応用問題が解けなかった」という体験です。

学校の先生は、生徒に様々な知識を”教えよう”としてくれますよね。
数学でも歴史でも、授業を通じてありとあらゆることを生徒たちに伝えます。それを忘れないよう、生徒側も一生懸命ノートを取って理解しようと努める。これがよくある学校の風景ではないでしょうか。

さて、こんな風に授業が進むと、たいてい定期テストが実施されます。
ここでは、これまで学んだことがどれだけ生徒たちの身についてるかをチェックするため、色んな角度から習ったことに関する問いが出されます。
基礎的な問題であれば、学んだことをそのまま答えれば正解となりますが、厄介なのが「応用問題」の存在。

応用問題はたいてい一つの知識だけでは解けないようになっており、これまで学んだ知識を複合的に使って解かなければなりません。時には、過去に学んだことを棚卸して考えなければ答えられない問題もある。

学校のテストですから、全く未知の領域に関する問いは出しませんが、自分がその知識を「使える」状態になっていないと、少し角度の違うところから質問されると全く歯が立たない。基礎問題の点数は良かったけど、応用問題には全然点取れなかった・・・なんて経験、多くの人があるのではないでしょうか。

この状態を「仕事」に置き換えて考えると、結構恐ろしい。
なぜなら仕事はテストの問題よりも応用力が求められるから。
”教えられた通り”のシチュエーションであればその知識は発揮されるが、想定外の状況に陥った時は全く使い物にならないという事態になりかねないのです。

結果、リーダーがどんなに一生懸命教えたところで、教えた相手が「使える」状態になっていなければ、教えた知識は意味をなさないのです。(悲しすぎる)

「教えよう」ではなく「掴んでもらおう」という考え方

じゃあ一旦どうすればいいの?と私も色々悩みましたが、最近少し手応えを感じる感覚に出会いました。

それは”掴んでもらう”

教えようとすればするほど、どうしても教える側が先に答えを伝える構造になりやすい。自分がイメージする正解の姿に早く近づけてあげたいという気持ちが先行してしまうから、相手が考えるよりも前に、ついついアレコレ言ってしまうのです。

それに対し、”掴んでもらう”という感覚を大事にしようとした時、「今この人が前に進む上で、何を理解してもらえれば良いか?」と考えるようになり、「自分と全く同じやり方」じゃなくても、自分が一番理解してもらいたいことが伝われば、あとはその人に合わせたやり方に沿って進めてもらえればいいや、と思うようになりました。

この考え方を持って、自分のメンバーと向き合うように意識を変えてみたところ、私自身、コミュニケーションの取り方が大きく変わった気がします。

  • 「掴んで欲しい」と思うから、発生した事象に対し、なぜこうなったと思うか?と問いかけるようになる

  • 「掴んで欲しい」と思うから、その事象から何を学び、次にどう活かしたいと思うか?と投げかけるようになる

  • 「掴んで欲しい」と思うから、これは大事だから抑えるべきだね、と相手と合意形成するようになる

些細な違いかもしれないのですが、教えるという意識に囚われていた時は、問いかけや投げかけをする前に「ああいう時はこうしたほうがいい」「これはこうやって対応しよう」と言ってしまっていました。

これではメンバーの成長を促進できているとは言えません。
むしろ対処法ばかりが先行し、その事象の背景にある原因は何か?について考える癖がつかなくなるため、この状態のままではリーダーが行った育成によって成長が阻害されてしまった、という表現の方が正しいかもという状態です。

これでは一生懸命教えたリーダーも、知識を吸収しようと努めたメンバーも報われないですよね。だからこそ「教えよう」という呪縛から離れ、違った視点を持つことが非常に重要だなと感じるのです。

正解はひとつではない。という意識で

これまで散々偉そうなことを言ってきましたが、私だってまだまだ育成スキルのレベルが高いわけでも、メンバーの気持ちが完璧にわかっているわけでもありません。気持ちに余裕がない時や、自分の思い入れが強い事案に関しては、まだまだ自分の考え・行動が正しいと主張してしまいそうになる悪い癖があります。

それでも、たくさん失敗して反省する中で確実に学んだことは、「正解はひとつではない」ということです。
仕事は暗記問題を回答するわけではなく、たくさんの変数を伴いながら、自分の頭で常にベストなやり方・進め方を考えながらこなしていくことが求められるものです。

最終的にたどり着きたいゴールや、抑えておくべきポイントが抑えられれば、そこに対するアプローチの仕方は何千通りもあっていいはずです。
だからこそ、自分のやり方が正しいと思う必要もないのです。

むしろ変化の激しい世界だからこそ、そこに固執しすぎるあまり、正しかったことが正しくなくなってしまうケースだってたくさんありますから、育成の仕事を任されるように際には、この辺りを意識してメンバーと向き合っていきたいものです。(自戒の念も込めて)

それでは今日はこの辺で。

なのはな

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