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私という生き方について 2

こんにちは、りいです。
今日も読んで下さってありがとうございます。
とても嬉しいです。

今年も半分が終わりって、早いですね💦
私は、人と対面する仕事をしていて、
テレワークになっていません。
感染対策、気を緩めずに続けなくては、です。               
皆さんも感染しないよう祈ってます🌟

🔶皮膚疾患 アトピーのはなし

私は小学校のころからずーっと、お薬を飲んでいた。
理由は、赤いぽつぽつができたり、かゆくなるから。
患部には塗り薬も。
原因がわからない、と「アトピー」というらしい。
幼なじみと野原で遊んで駆けずり回ったあとや、
野良猫を抱っこしたとき、ジンマシンがぶわーっと。
少し調子が悪いときに、
食べたものがちょっと古かったりすると
ぶわーっと。
皮膚が弱いし、拡がったりするから、症状を和らげる必要が。

年々、通い易さや遅くまでやってるところなど
病院や先生も変わっていったけれど..

でも、完治しない。
お薬を使うと良くなってくる。
また悪くなってきた。
というループ。

ある時、お医者さんが、
「完治しない病気だから、じょうずに付き合っていきましょう」と言った。

世の中には、もっと、厳しかったり苦しかったり、
大変な思いをしてる人はたくさんいる。

誰にでも、何か悩みの種を持っている。そう思う。

つまり、自分を特別だと思ったことはない。
人と比べる必要もなく、
また、皮膚に炎症があっても、命に別状ないことで。

ただ、私は治りたかった。

2週間毎に受診し、薬を処方され飲んで塗って飲んで塗って。

もちろん、いろいろ身体によい物を取り入れるし、
何か、効果があるという情報があれば大抵試す。
いろんな物を買ったり、出掛けたり。
これが合う人もいたかもしれないけどダメだった。
最初はよかったけど、続けてるとダメだった。

なんて難しいの、と。

日々の生活には様々な出来事があり、役割をこなし
体調と並走していく。。

そうして、20才を過ぎた頃からは、
悪化具合が目に見えるようになった。

それはどんな様子だったかというと、
母の喩えで「松の木の幹みたいな表面」。
女の子の見た目を表現した言葉にして、
かなりパンチが効いてるけれど、悲しいかなその通り。
顔も身体も皮膚が瑞々しく保たれることがない。
がんばって生まれた皮膚が定着できない。
ステロイド軟膏が、酒さ様皮膚炎を引き起こしたりもした。

自分でいろいろな知識を得て、薬にも詳しくなり、
分量や強度も先生に指定するほど。
そして入院も何回かした。

珍しい病気ではない。
職場にも同じ悩みを抱えてる人は何人もいた。

私の入院に対して、
航空会社の課長は「空港は案外空気が汚れてるし、
そういう影響もあるのかなぁ」と言い、
民放キー局の部長は「元気になって帰ってくるのを待ってるよ」と。
仲良しの局員は復職した日「貴女が復帰する日だから」と、
休みなのに会いに来てくれ嬉しかった。

プロダクションの正社員になりテレビの仕事を続けてた時、
アトピーの先輩は、私の入院に異を唱えた。
一時的に良くなっても、その後どうかわからないし、
戻っても席がないかもしれないと。

体力はもちろん、実力不足も解っていた。
一番は周囲の対応だったかも知れない。
気持ちが追い込まれストレスフル、
医師に従い入院を選んだ。しかしなかなか気が休まらない。

私の復職に、社長と直属の役員は難色を示し圧力をかけた。
でも負けなかった。

いつか必ず、
いなくては困る人と言わせてやる!と決意したのだ。

番組制作は時間が不規則。
深夜まで寒い部屋で働き、午前11時の出社は早いと感じる生活。
でも、担当してたスポーツ中継や番組制作は感動に溢れていて、
私は映像の世界が好きだった。

この頃私は、
いつかここを離れるときは女優さんがクランクアップで貰う大きな花束を貰って辞めよう。
と、執拗に拘った目標を掲げていた。

果たして
それは現実となった。アトピーを克服した、その先に。
(つづく)


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