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愛嬌を捨てたい、あの時はそう思っていた

可愛くない私が世渡りするために得たスキル

顔が可愛くない私がこの世で生き残るためには、愛嬌しかないと無意識に思っていた。困った顔してわかんないと首を傾げれば、誰かが手を差し伸べてくれた。無邪気な幼子のようにふるまえば、誰かが助けてくれた。それを「新種のぶりっ子」(多分顔が可愛くないのにぶりっ子しているから)と称した人もいたけど、愛嬌をふりまけば若干は楽に渡り歩いてこれたのだから、ぶりっ子だって別にいいじゃないかと思っていた。

だけどこの30年で染みついたこの仕草は、今私を非常に困らせている。

ウワベだけで全てをごまかしてきた私

愛嬌という武器の中身は、空っぽだった。メインで使っていい武器ではなかった。いざという時に使うべきだった。これはただのまやかしでしかなかった。

愛嬌という武器は私にとって非常に使うのが楽なものだった。ニコッと笑ってごまかせば何とかその場を乗り切れてきた。つまり、”できていなくても許された”。そのまま”できない”ものは”できない”のまま過ごしてきて、そのツケがどばっと今押し寄せてきている。

「社会人歴10年近いのに、なんでできないの」

ニコニコして、それでごまかせると思うなよ。私を見つめる鋭い目がそう言う。それは、と言葉が詰まる。とうとう私は向き合わなくてはいけなくなったのだ。

できないこと、苦手なこと、全部誤魔化して逃げてきたからです。

年下の方が圧倒的に多くなってくる

社会人歴も10年が目前に迫り、周りに年下が増えてきた。徐々に頼れる人が少なくなってきた。別に年下に頼れないというわけではないが、逆に年下の子が私を頼ってくれることも増えた。そんな中私は”できない”ことが多い。逆に指導をもらうこともある。得意分野はなんですかと聞かれても、スッと答えられない。正直言うと恥ずかしい。悔しい。

そんな中でも愛嬌で誤魔化す癖が抜けない。わからないことに対して明らかに困った表情が浮かんでくる。そんな表情を見て上司がやれやれとため息をつく。こんな表情を作ったって何の得にもならないシーンなのに、むしろ幻滅されるのもわかっているのに。

私は表情を崩す。困り顔した私が、心の中で泣いていた。

こんなの全部言い訳

ここまでツラツラ書いてきたが、全てくだらない言い訳だということもわかっている。自分が愛嬌で誤魔化してきたせいだと過去の自分に責任を押し付けて、今にも逃げ出そうとしているのだ。愛嬌は何も悪くない。むしろ、役に立つことも多かった。きっとこれからも役に立つこともあるだろう。だけど、それにかまけてサボる自分は、本当に良くなかった。

愛嬌を捨てたい。

いや、愛嬌で誤魔化して逃げ続ける自分を捨てたい。

中身が詰まった私になって、愛を振りまく私でありたい。

ーーーーーと書いたのが、実は2021年の今頃だった。どうしても自分が悪いとしかおもえず、こんなの言い訳だ、と下書きに保存したままにしていた。消せなかった。呪いのように、消えなかった。
それから1年経った。あの頃の私に言いたいこと。「捨てなくてよかったよ、愛嬌」

愛嬌を持っていてよかった、だってこれも私の武器

実は当時パワハラにあっていたらしい。完全に無自覚だった。けどまあこういうのって内の人間は気付きづらいことだから仕方がないだろう。いろいろ言われまくって心が一度プッツンした時に同僚に愚痴ったら「え、それパワハラでは…?」とドン引きされて、ようやく気が付いた。上司の叱責は人格否定も含んでいて、人を追い詰めるような言い方が多く、ただでさえ自信のない私はそれを受けて殻に引きこもって自分ばかりを責めていた。

けど、仲間の言葉で目が覚めた。もちろん私の力不足もあったけど、あ〜はい、全部は悪く無かった。はいはい。は〜乙した。別の意味でブッツンした私は完全に開き直った。その後はいろいろあって、無事実力もついてきて、どっしりと仕事ができている。今では「懐に入る能力が高い」なんて評されている。うるせえよお前ぐちゃぐちゃ私に言ってきやがったくせに黙れお前が私を褒めんな。

あの時愛嬌を捨てなくてよかった。お客様のケアをする仕事なので、笑顔が必須だ。柔らかい雰囲気で、オープンなマインドで、まっすぐに向き合う。愛嬌という、今まで培ってきた能力が遺憾なく発揮されている実感がある。無事中身も伴ったから尚のこと。中身が空っぽだと気付けたのもまあ、悪いことでは無かったけど、うん、手段がね?

私はこれからも愛嬌を磨くし、それ以外にも武器を作る。私と対峙する全ての人に、笑顔でいてもらうために。

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