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2年ぶりの帰省は私を孤独にさせた

トンネルを抜けるとそこは雪国だった、と言わんほどに雪に包まれた空港に私は降り立った。そこは九州であるにも関わらず、その日は偶然にも大雪だった。見慣れない風景に戸惑いながら、2年ぶりの故郷を私は噛み締めた。2年ぶりに、戻ってこれた。

2年前、私は帰省にて大後悔して帰りながらボロボロ泣いたことを覚えている。帰省したにも関わらずインフルエンザにかかってしまい、イライラして家族に当たったのだ。家族と過ごせる貴重な時間。私はそれを無下にして不機嫌を撒き散らした。だから、今度帰省するときは家族の時間を大切に、ご機嫌に過ごそうと思っていたのに。

それから2年経った。ご機嫌に過ごそうという決意は、コロナウイルスに阻まれた。何度も規制のタイミングを見送って、ようやく2021年年末、久々に家族との対面を果たしたのだ。ようやくだ。

さて、年に1回あるかどうかの積雪は交通機関を乱していたようだった。父の迎えも遅くなるだろうと思っていたのだけど、それを見越してしっかり早めに辿り着いていた。顔を合わせた瞬間「ああ良かった」と父は言った。どうやら後に続く便は欠航や遅延が続発していたらしい。会えないかと思った、なんて溢さなくて良かった。そんな悲しいこと口に出したら泣いてしまう。会えたんだからそれでいい。

帰省してからの新しい気づきは、しつこく好きなものを食べてしまう習性は父に似たんだということ、妹の性格がいつの間にか丸くなっていたということ、物音のする誰かの気配がある空間で寝るのに慣れていないということ(安心して寝れない、気を張ってしまう)。毎日のようにセブンの砂肝ポン酢買って食べてる父に笑ってしまった。わかるよ、美味しいけど。ちなみに母は何も変わってなかった。妹とはドラマやアイドルの話で盛り上がった。姉と姪っ子甥っ子とも会ったけど、子どもの成長は早すぎる。もうこんなことできるの!の何度驚かされたか。あと本気で遊んだら疲れた。

できる限りご機嫌で過ごしたり(ただやっぱりイライラすることもあったけど)、手伝えることは手伝ったりして約1週間過ごした。いざ東京に帰る日、父と妹が空港まで見送ってくれた。妹まで来てくれるとは思わず、それだけで胸がいっぱいになった。

で、これ人生で初めてなのだけど、めちゃくちゃ地元の空港が混んでいた。あんな混んでたの初めて見た。当然のごとく駐車場も混んでいて、父は車を停めてくると私たちを下ろしてどこかへ向かっていった。私と妹は手続きをしたりおみやげを見たりしていたけど、おみやげ屋の会計も長蛇の列で、とうとう買えなかった。そんなこんなしていても、父は来なかった。

時間がくる。保安検査場を通らねば。けど父が来ない。寂しいな〜なんて気丈に振る舞いながら、妹と会話する。荷物をトレーに入れ、いよいよ金属探査のゲートをくぐる。ばいばい!と妹に明るく手を振った。一生懸命涙を堪えた。それなりに距離があったけど、バレているかもしれない。ばいばい、また次、いつ会えるだろうか。また次、元気で会えるだろうか。

2年前と大きく違う。私は今回思うような振る舞いができた。だけど、2年前と一緒、涙が止まらなかった。

父とは最後まで会えなかった。見送ってくれてありがとう、身体に気をつけてね、お酒飲み過ぎないでね、って直接言いたかったなあ。

直接言えなかったからと妹にLINEをした。父に見せてね、と。(父はスマホを持っていない)そうしたら、写真が送られてきた。空港の屋上、飛行機を見ることのできる展望台から撮られた写真。私が乗っている飛行機の画像が届いた。見てるよ、パパと見てるよ。

飛び立つまで見送ってくれてありがとう。私は窓から必死に父と妹の姿を探した。見えるはずもないけど、けど父がよく着ているブラウンのジャンパーが見えた気がして、視界が一気にぼやける。パパ、パパ!心で叫ぶ。さびしい、いやだ、ひとりになりたくない。かえりたくない。

隣に人がいたけど、お構いなしに、だけど必死に声だけは抑えてボロボロ泣いた。ありがとう、ギリギリまで一緒にいてくれてありがとう。愛してくれてありがとう。

どうか、また帰る日がくるまで必ず元気でいて。

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東京へ帰ってきてから1週間。私は生まれて初めてのホームシックに陥っていた。最後に父と直接会えなかったことが悔しくて仕方がなかったらしい。
一人で生きていくことは平気、気が楽、だと思ってた。だけど、こんな世の中、いつどんなことが起きるかわからない不安定な中で、家族と会うのに半日以上かかる距離に住んでいることは正解なんだろうかと悩みに悩んだ。あと何回会えるんだろう、あとどれぐらい親孝行ができるのだろう。親孝行、どうやってやればいいんだろう。こんなに愛してもらっているのに。いうて父も母もまだ人生これからな年齢だから、そう簡単にはポックリいかないとは思ってるんだけど。思いたいんだけど。

地元は職が少ないので、福岡ぐらいに住みたいななんて思ったり、そのためにはリモートでできる仕事がいいよななんて思ったり、今後のキャリアを考え直すきっかけにもなっている。

今はいろんな人に助けてもらって少し元気だけど、ふとまたこの出来事を思い出して泣くのかもしれない。これは全部人と人を隔ててしまうこの世の中のせい。私のせいじゃ、ない。だから泣いてもいいじゃないの。

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