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夢は変わっていいし、変えてもいい ―25/1000―

夢や目標が変わってしまうのは恐ろしいことだと思います。今まで好きだったものが好きでなくなってしまう。努力できていたことができなくなってしまう。それは急に熱が冷めてしまうものかもしれないし、徐々に冷めていくものかもしれません。それは人の「好き」という感情は移ろいでいくものだからだと思います。

僕は変化することが怖いです。正直なことを言うと周りの環境の変化や人間関係が変化することに怖さはさほどありません。しかし自分自身が変化することになると極端に拒否反応を起こしてしまいます。それは日々の物事に対する考え方や行動というわけではなく、心の変化です。「嫌いであったものが好きになること」には問題ではありませんが、その逆で「前まで好きだったものが好きでなくなってしまうこと」は本当に恐ろしいです。

よくテレビに出るような成功者の話を聞くと「好きなことを仕事にせよ」とということをよく言っています。好きなことなら熱中できるし、多少給料が安くても生活できれば満足に暮らすことができると思います。またそれを極めてネット上に上げれば好きなことで副業することもできるかもしません。しかし、その好きなことが変わってしまったらどうでしょうか。

僕は小学生のころは大工に憧れていました。それは小学生のときに実家を改築したとき、親がとてもワクワクしている様子であったからです。自分自身も新しく自分の部屋ができることもあって楽しみでしたが、親のワクワクがより自分をワクワクさせました。ちょうどその頃、小学校で書いた将来の夢は?の欄には「大工さん、または建築士」と書くようになりました。

小学校から家までの距離はおよそ2km。その半分は田んぼの合間を縫うようは道でその周りには一緒に帰るような小学生はほとんどいませんでした。なので下校時の1km程度は1人で帰っていました。そのときにいつも考えていたのが、「将来、どんなことをするのか?」そのことで頭がいっぱいでした。

幼いながらに考えていたのはおおよそ「幸せな気持ちになるような環境を作りたい」ということでした。建築士になる発想の発端は建築という建物自体に興味があったわけではなく、その場が作る雰囲気の方でした。建物のなかに入ったときに感じる緊張する感覚、ワクワクする感覚、落ち着く感覚。そのような感覚をうまくコントロールすると幸せを感じられる空間も作ることができるのではないか?と思っていました。

それから中学生になり高校へと進みました。そのときは小学生のころの想いは変わらず持ち続けていましたが、何かを始めるということはありませんでした。しかし、高校生になって「何か青春をしてみたい」という気持ちと、「建築士になるためには気難しい職人さんたちの指揮をとらなきゃいけない、ということは厳しい環境に身を置いて精進しておかなければ自信を持てないだろう」という考えからラグビーを始めました。(今思うと本気で建築士になりたいと思っているならば建築の勉強のために時間を割くことの方が近道であったように思えます。)

部活が終わってから我に返り、もう一度将来を考えるとやはり小学生のときに思い描いていた「幸せな気持ちになるような環境を作りたい」という想いが蘇ってきました。建物への興味ではなく環境への興味であったので非常に考えが漠然としていていたため、相当勉強して頭がよくないと感覚を言語化すること、ましてやそこから何かを作ることは不可能であると考えていました。

高校を卒業し浪人して入った国立大学。そこでも満足はできませんでした。大学生活は充実していて楽しかったですが、肝心の講義は自分の興味とは何かが違うものでした。その何かをうまく説明することはできず、モヤモヤとしている日々が続きました。そんな中で耳にしたのが「リスクなしで大学を編入できる制度があるらしい」ということでした。

もやもやを感じていた私は、迷った末に編入することに決めました。決めたきっかけは当時読んでいた本に「楽な道と辛い道があれば辛い道を行け」というものからでした。編入は過去の前例がなく、編入学試験にも合格しなければならないため、その道こそが辛い道であると捉えました。

半年間を受験勉強に費やした結果、無事に編入を果たした私は様々な講義を受講しました。単位の取得は大変でしたが、自分のあのモヤモヤした感情を払拭するためにある程度の努力は惜しみませんでした。

転機が訪れたのは研究室配属が決まってしばらくした研究室の歓迎会で起こりました。そのときに既にうすうす感じていたことをハッキリと言葉にして言い表されてしまった瞬間でした。「人の感情から建築を設計するのは不可能である」ということでした。もちろん、被験者が建物内に入ってもらってそのときの気持ちを記入してもらうといったことはできますが、1から「ここに柱を立てるとこういう気持ちになるから、最適な場所はここ、長さも材も構造や性質、価格からは選べるけれど人の気持ちから客観的に選好する」ことは難しいといった内容でした。

当時の僕は疑念と憤り、不安を感じました。何と言ってもそのために浪人し楽しかった大学を離れ、必死で勉強していましたから。だから次に教授にこう聞き返しました。「なぜそう言えるのですか?」と。そしたら、私は「10年間同じように思って研究を続けてきたけれど大きな成果は得られなかったから」と言われました。衝撃でした。自分の中で何かが変わった瞬間でした。その先生は編入先の大学で、建築学科で最も重要な講義の一つである設計製図を指導してくれた先生であり、尊敬でき、そして東大卒の先生でした。その先生がそういうのだから本当に難しいのではないか?そう感じました。

ただ時間は前に進んでいきます。既に大学院への進学という道を進路に選んでいた私は後には引けなくなっていました。うすうす感じくる不可能性に研究の意義を見失っていしました。行き場を失った研究へのやる気は強さを増すばかりで方向転換することなく走り続けてしまいました。

「視点を変える」「好きでやっていたことを変える」恐怖でした。これまでの選択は理由が適切ではなかったにせよ、「幸せな気持ちになるような環境をつくる」その考えを軸に選択を行って来たからです。記述したこと以外にも最初に引っ越しを選んだのも様々な住宅を見るためであったし、地域創成のボラティアなどに参加していたのも何かどこかにヒントがないかと探すためでした。その軸が失われることが恐怖でした。

完全に立ち止まってしまった私は、もがき苦しんだ末に結局大学院を1年で辞めることになりました。それまでも建築のインターンに行ったり説明会にも行ったりもしましたが、建築の業界で働くことにも実感が湧くことはありませんでした。その後、考え抜いた末に他に興味のあった英語を学習するためオーストラリアに行くことになります。そこでは今まで自分が持っていた価値感や考え方がいかに偏っていたのか?を知ることとなり、今日の自分があります。

今ではようやく新しい夢を見つけることができました。以前の僕は何かをする前から必要以上に考え過ぎて具体化し過ぎていました。したがって今度はもっと漠然とした夢を持って、自分の状況や能力を鑑みて少しづつ目標、そして夢を大きくしていきたいと考えています。

始める前から考え込んで具体的に夢を決め込んで努力するのではなく、周りや自分、社会の仕組みのことも考えながら少しずつ夢も変えていくのがいいのかなと思います。


今日はここまで。
最後までお読みいただいてありがとうございます!


今日のひとこと:もう一度スタートを切る!



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