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「僕が死んだら悲しんで欲しい」と友人に言ったことを思い出した

※21/04/21追記:内容は無料分で全て読めますが、一部端折りました。4500字程度です。公開時の全文は有料分に載せてあります。



「俺が死んだら、初日だけで良いから悲しんでくれん?」
 箒を持って窓辺で呆けている友人に、花屑を持った僕はそう言った。
 まだクーラーもついておらず、たまに吹く風だけが生命線の中学校の教室で、脈絡なくそう言った。もう10年も前の話だが、そのことをふと思い出した。

 というのも最近、僕は死にたく無くてたまらなくなっていたからだ。
(学生時代から僕は基本的に死にたさの方が勝っている人間だったので、日ごろから死にたくなさを感じているひとにはピンと来ないかもしれないが、ともかく珍しいことなのだと思ってほしい)


 当時、僕は至って健康的な14才だった。
 片道40分の車がほとんど通らないような通学路を馬鹿みたいにはしゃぎながら、毎日元気だけで登校していた。だから、決して死に近かったというようなことはない。
 それを聞いた友人もまた、休み時間は読書ばかりをしていたが、それ以外は比較的健康的だったように記憶している。
 それでもたまには死について話すようなこともあった。でもそれは、そのくらいの年齢ならだれにでもあるような(と、僕は想像している)死という概念について、すこし気取って考えた末のものであって、自殺願望だの殺人願望だのがあったわけではない。死んだらどんななんだべなとか、(近くに大きな川があり、毎年水難事故が起こるため)水死体ってドザエモンっていって膨れ上がるらしいべとか、その程度のものであった。

 さて、そろそろ僕の話をしよう。
 そんな少し変わった友人と仲が良かったのは、僕もまたクラスでは浮いているような存在だったからだと思う。自分で言うと空しくなるのだが、悪目立ちしていたことは確かである。田舎のような地域性の残る山辺の学校では、悪評がすぐに広まるのも相まって、僕の面倒な質は自他ともに認めるものだった。
 髪の毛の色が明るいのに制服を第一ボタンまでキッチリしめて、教師に反論の余地を与えないような、尊大で口が達者な生徒だ。当然目立つし、今の僕が思っても腫れものである。反省してほしい。

 話を戻そう。
 それでも14才僕は、悪目立ちするという点を除けば、学生生活で困ることはなかった。(件の面倒さを除けばお喋りなだけの生徒だったので)だから、僕自身が死に近いということは決してない。つい今年になるまで、身内の死すら体験したことがなかったし、毎年カブトムシを殺してしまうこと(そもそも寒くなれば死んでしまうのだが)くらいでしか死に触れたことのない子供だった。だからどうしてそのとき脈絡なくT君に「俺が死んだら初日だけで良いから悲しんでくれん?」と言ったのか、はっきりしたところはわからなかった。
 けれども最近、衝動的死にたくなさを感じて、なんとなくその理由がわかってきた。僕には言語化がまだ出来ないので、ここから先はより曖昧な話をする。だが、記憶としてはかなり鮮明である。


(話は冒頭に至るまでのその日の僕について、記憶の限りを記していく)
 中学校では帰りの会の前に、掃除の時間があった。割り振られた掃除場所へ行き、しばらく掃除をして、最後に班長がその掃除場の担当の教員に"メンバー全員が掃除場にいること"を確認したサインを貰う。制服をいくらキッチリ着ていても、あまり真面目でなかった僕は、掃除は概ねサボっていた。大体一班5~7人ほどいたので、一人二人サボってもどうにかなるということもある。強気な班長は、サボっていたのに点呼のためだけに来た生徒について報告することもあったが、面倒な僕が言葉巧みにかわす可能性を考えてか、僕については何も言わない。あるいは、僕がいなかったことに気が付いていない。だから僕は、点呼にさえ来ていれば何の問題もない生徒であった。
 その日の担当の掃除場は、普段使っている教室であった。暑い日は階段や北側の廊下で涼んでいたのだが、ちょうど運悪く担任の先生に足止めをされた。
「なにかし、暇なら鉢植えのダメになった花、もいでくれん? ついでにこれ捨ててな」
 先生はそう言うと、僕に青色の花屑を渡して教室を出て行った。先生が出て行ったあと、とうぶん先生は戻ってこないだろうと踏み、再び教室を出て行こうとした。しかし、先生が先ほどもいで綺麗になった花瓶の花と、窓辺の鉢植えのボロボロの花を見較べれば一目瞭然だったので、僕は賢く今日は掃除をしようと思った。それに、先生のことが嫌いではなかったので、頼まれごとをして厭な気はしなかった。それでも教室がむし暑いという事実は、僕にサボろうと思わせるには充分であったが。
 僕は当時から気持ちの悪い人間であったので、ひとつ閃きを得て生徒手帳を取り出した。不真面目な僕が生徒手帳を持ち歩いていたのは、バンドエードを挟むのにちょうどよかったのと、その方が真面目そうに見えるからの点であった。その生徒手帳(入学以来、バンドエードを挟んでいるページしか開いていない)の他のページを開いて、先生に貰った花屑を挟んだ。そうして内ポケットにでも入れておけば、きっと押し花になるだろうと考えたのだ。
 別に僕は特に花を愛でるという趣味はない。T君がしおりに使っていた押し花のラミネートを最近見ていたから思いついただけの、気まぐれであった。(T君にもまた花を愛でる趣味はなかった)
 そして、僕に怯むことのない先生に対して、先生にゴミとして渡された花屑を丁寧に押し花にしている僕をみせたら、きっと先生は多少僕に慄くだろうという思いつきもあった。(実際その年の冬、先生にそれを見せたら目に見えてドン引きしていたし、今思うと我ながら気持ち悪い)
 教室を見廻すと、僕と同じように先生が居なくなったことを喜んだ生徒が、各々好き放題しはじめた。そうして教室から次々に生徒はいなくなり、静かになった。残っているのはたまたま窓辺で箒を持って外を眺めていたT君と、生徒手帳を持ったままの僕だけだ。(僕の通っていた中学校は、一部の教室を除きエアコンもついていなかった。教室は窓辺以外はひどく暑かったので、みんな廊下で涼もうという算段だった)
 T君はどこでも時間があれば本を読んでいて、ポケットには常に文庫本サイズの本が入っている。たぶん彼が先生の不在に気が付いたなら、すぐに本を取り出して読んでいたと思う。しかし、その時はそれに気が付いていなかったようだった。暑さのせいかは知らないけれど、本当にただ窓辺で箒を持ったまま立って外を眺めていた。(その珍しさゆえに未だによく覚えている)
 調子が悪いのか? とも考えたが、T君は汗ひとつ垂らさずただ遠くを見ていたので、僕はいつもの調子で声をかけた。
「T~! 見てよこれ」
 すぐ僕の声に気が付いたT君は、僕の生徒手帳に挟まれた花屑を見る。
「何それ」
「先生に貰ったから、押し花にしようと思って。絶対にキモがるよな!」
「キモがられたいの?」
「後悔させたい」
 そう言いながら僕は生徒手帳を仕舞った後、鉢植えの花を選定し始めた。どこまで萎れている花をもぎっていいのか未だにわからないが、僕は鉢植えの花をもいでいった。確か白い花だったと思う。僕に毟られてかわいそうだなくらいは考えていたかもしれない。
 気が付くとT君は僕の背後で、僕を窓際に残してカーテンを引いていた。T君はサボって本を読むとき、よくカーテンに隠れる。
 僕の横に戻ってきたT君は「なんで花毟ってんの」と聞いてきて、僕は先生にそう頼まれたんだと言った。T君はそれ以上聞かなかったが、僕のもぎる様子をずっと見ているようだった。カーテンを引いたのにもかかわらず、箒を持ったままで、ポケットから本を取り出すことはなかった。
「なあ、T。もし俺が死んだら、初日だけで良いから悲しんでくれん?」
「何それ」
 多分そういったタイミングでその話をし出した。僕の思考に脈絡があったとは思えない。僕にもがれる花をみて、感傷的になってそう思ったのかもしれない。教室にT君以外おらず、更にカーテンで教室と僕達が隔てられたからそんなことを言い出したのかもしれない。
 T君に何それと言われたけれど、僕はその時に理由を上手く話せていない。少なくとも、言い澱んだように記憶している。
「悲しんでやるのはいいけど、先に死ぬなよ」
 その辺りで、誰かがカーテンを翻した。
「サボってんのかお前ら」
 気づかない間に戻ってきた先生は僕を見て「ちゃんとやってるじゃん」とか何とか言った。
「先生。コイツ、死んだら悲しんで欲しいとか言ってるんだけど」
「花綺麗にするの頼んだだけだけど、そんなに厭だったか?」
 詳しい会話は覚えていないけれど、僕が掃除を嫌がっているのを先生が言っていた。
「死んだら皆、俺のこと忘れるかもしんないけど、初日くらいは悲しくなくても悲しんで欲しいなってちょっと思っただけですよ」
 僕は先生にも同じようなことを言った。僕は別に覚えておいてほしいというわけではないということだけははっきりしていて、それを口にしたことまでは覚えているが、悲しんで欲しいと言った理由についてはやはり言い澱んだ。
「別に、お前が死んだら普通に悲しいけどな」
 先生がそう言ったところまでで、この時の記憶は終わっている。


 この時の僕がどうしてそう言ったのか。普段なら居てもいなくても変わらない僕に、役割を与えてくれた先生によって何か思うところがあったからかもしれない。旬を越えた花が美しくないからと、もがれることへの憂いかも知れない。窓辺に立っていたT君に何かを感じたからかもしれない。暑さゆえの身体的あるいは肉体的なあれこれかも知れない。

 そのどれもが上手くかみ合った結果かもしれない。

 ただふと、最近強く「死にたくない」と思ったのが、死んだら忘れられてしまうからではなかった。まだ何も残せていないと本気で思ってしまったからであった。悔しいのだ。けれども、悔しさと悲しんで欲しいに至るまでの回路は未だにつながらない。
 悲しむのを初日だけに限定した理由もわからない。たぶん自身の面倒さを理解していて、死んだら面倒な自分をアッサリ忘れてくれて構わないと思っていたからだと思う。

 かつてそこに居た僕について、一瞬考えてほしい。立ち止まってほしい。いずれは忘れてくれて構わないから、それが友人であるT君の中のたった数秒でも何かになってほしい。そんなふうに思ったからだろうか。きっとこの先もよく分からないままなのだろう。

 ふと久々にT君を思い出して、まだこのことを覚えているだろうかと考えたが、もう5年は連絡を取っていない。先日、T君が入籍したらしい話を風の噂で聞いた。おめでとうを言いに行く術を持たない僕は、窓辺のT君が、どこかで幸福なら嬉しいと思うばかりだ。そして、もしT君が僕の訃報をどこかで聞くことがあったら、一瞬だけでも僕のことを思い出して悲しんでくれたら、悪くない人生だったなと思えるだろうか。
 T君の幸福を願いながらも、未だにこの思い出を大切にしているワガママな僕は、やはり忘れられた方がよいだろう。けれどもやはり、その一瞬だけは欲しいと思ってしまう。



追:結構記憶が鮮明なのと、文章化していて「フィクションか?」という気持ちが高まってきたので、いくらかシナプスの誤接続があるように思えてきたが、身バレ防止フェイク以外の大筋は僕の中では真実である。けれどもここまで読んだ人は、架空の出来事と捉えて現代文の問題さながら僕の心理を勝手に分析してくれて構わない。(途中までの人は黙って忘れてほしい)


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