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【進撃の巨人】最終巻の最後のミカサのこと

◎最終話ネタバレあり/アニメ派非推奨

エレミカでもジャンミカでもなくあまり共感は得られなさそうな感想文。
どちらかのカップリングを強く推してる方には不快な部分があるかもしれないので、なんか違うなと思ったらそっと画面を閉じてください🙇‍♀️

ちなみに私は加筆肯定派です。
誤解のないよう念のため。


ミカサが幸せだと感じていれば、どんな選択でもそれは幸せだったと私は思う。

単行本の結末では、ミカサはジャンと家族をもち、生涯一緒に歩む道を選んでいる(と私は解釈している)。
そしてそれがミカサにとって幸せなんだなというのが情景描写から伝わってきた。
なので、単行本の終わり方は良い終わり方だったと思う。

けどもし選んだ道がそれじゃなくても、ミカサ自身が幸せを感じているならどんな結末でもミカサは等しく幸せだったと私は思っている。

例えば、エレンだけを愛して生涯独身を貫いたとしても。
例えばジャンとは精神的な繋がりだけで子どもは持たなかったとしても。
そもそもエレンでもジャンでもない全く別の人と結ばれていたとしても。

進撃のキャラクターにはいろんな価値観を持つ人がいて、それが物語の魅力のひとつになっている。
いろんな価値観というのは、多様性とも言うのかもしれない。
考え方や主義主張の多様性、人の生き方の多様性。
「そう考える者もいる」
「いろんな奴がいた方が面白い」

多様性は"幸せ"に関してもそうあってよいと私は思っていて。
私個人は、"恋愛して結婚して子どもを授かり一生をその人と暮らす幸せ"こそが幸せだとは考えていなくて。
もちろんそれは、そういう幸せが一番の幸せだという考えを否定する訳ではなくて、人によって幸せについては色んな考え方があるよねという話で。

人にはそれぞれいろんな幸せの定義があって、そもそも結婚や恋愛をしたいと思わない人も、死別した相手を一生愛して独身を貫く人も、子どもを望まない人も、それで幸せを感じていればそれは誰が何と言おうと間違いなく幸せで。
それに対して"可哀想"とか"それじゃ淋しい"とか"幸せになって欲しいのに"と言うのはちょっと違うよねと思う。

なので、私は最終回の最後のミカサは幸せだったと思っているけどその内訳としては、『エレンに囚われず新たに恋愛し結婚し子どもを持つことも出来た。それも他ならぬジャンと。だから幸せ』という受け取り方よりは、『ミカサが、ミカサ自身が幸せだと思える道を自分で選択する事ができたから幸せ』という受け取り方をしている。
どちらも同じ事を言っているようにも見えるけど、前者は第三者から見た幸せの定義においての幸せで、後者は第三者ではなく本人の意思のみで定義する幸せ。

ミカサが選んだ結末はたまたま、「前に進めて良かったね」とまわりから祝福される、第三者から見ても一般的に幸せな"正解の幸せ"なんだろうと思う。
けど前に進まないことを選ぶ、言うなれば"不正解の幸せ"も世の中にはたくさんあって、それだって、まわりから祝福はされにくくてもそれでその人が幸せを感じているなら間違いなく幸せで。
だから、冒頭に戻って、もしミカサが別の道を選んでいたとしても、それが"不正解の幸せ"でも、ミカサ自身が幸せだと思えるならどんな結末でも幸せな結末だったと思っている。

というお話。以下余談。

たぶん、私の中にcp推し思想がほとんど無いからそう思うのかもしれない。
2次元でも3次元でもリアルでも、誰と誰がくっついて欲しいという気持ちがほぼ無い。
みんな自由でいいじゃないか、と思ってしまう。本人同士の問題に他人が口を出す感じが苦手なのかもしれない。
物語上で明らかに公式の矢印が出てる2人(例えばエレンとミカサ)がお互いに相思相愛なのがわかる最終話はグッときたけど、それはそれぞれのキャラに感情移入しているからそれぞれの気持ちになって嬉しいのであって、cpで推す、というのとはなんか少し違うんだよなぁ、と思いつつそんな人は少数派なんだろうなぁと思ってnoteに吐き出してみたよ。

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