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三戸公 (2004). 「人的資源管理論の位相」 『立教經濟學研究』, 58(1), 19-34.

 人的資本経営が注目される中,改めて「人的資源」とは何かを考える必要があると思い読んでみた論文。

 本論文は,日本労務学会のシンポジウムを原稿に起こしたもので,しかも,本論文を読むまで「労務管理論・人事管理論」と「人的資源管理論」の違いを論じる原稿になぜ,大学の自己点検・自己評価制が関わるのか理解できなかった。しかし,読了後,「人的資源管理論」への名称変更と大学の自己点検・自己評価制の関連性が理解できた。

人事管理論は,管理の主体は人間であり, 客体もまた人間であった。 管理主体たる人間は,資本家と呼ばれる人間であろうと,経営者と呼ばれる人間であろうと,いずれも人間であった。だから, 人事管理論は資本制生産下の人間を対象とし,従業員の有効活用に力を注ぎながら,彼らの生活とりわけ雇用・解雇・生活に無関心ではありえない面があった。 (中略)HRMの管理主体は組織であり,客体は人的資源である。 そして,組織の担い手は人間であり,人的資源の担い手もまた人間である。 主人は組織であり,人間はその従者である。 組織は人的資源としての自己を組織目的に向かって資源パワーとして発現するのである。  (三戸, 2004, p31.)

 ここで言われていることは,

1.「労務管理論・人事管理論」から「人的資源管理論」へと名称変更が起きた。

2.単なる名称変更に留まらず,このことは

  1)ドイツの流れをくむ研究から北米への研究への傾斜を意味する

  2)従業員の「人間(人格)」とその周辺状況を加味する研究領域から,組織を主体として経営資源の1つとしてのヒトに意味が変わった。

3.本来教育は,教師と生徒の人格のぶつかり合いのはずなのに,大学教員は文科省の設置した自己点検・自己評価制という制度の中で自らを組織の歯車の一つとして「資源」としての待遇を甘んじて受けている。なのに,日本労務学会という人事管理・労務管理を扱う学会でこの問題を扱わないのはいかがなものか,と問うている。

 翻って,昨今の人的資本経営をどのように考えればよいだろうか。結局,企業の付加価値を高めるための指標を作る(ISO30414とか)のは,組織の人的資源をどれだけ有効活用しているのかを検討するもので,指標そのものは,個人の働き方や個の指標でありつつ,その実,組織の論理を強化するものなのかもしれない。

 しかし,最近のSHRM研究は,戦略や組織,他のHRMとのfitから一歩進んで,どのように,なぜHRMが機能するのかを問題にしており,その変数として風土やWLB,上司と部下の関係性などかつて人事管理・労務管理が扱ってきた全方位的な変数探索に回帰しているように思える。

 特に働きがいや成長できる仕事などは,個人の生育環境や思想に影響するから,かつての変数を装いを新たに検討しているように見える。

「新しい酒(装いを新たにした昔ながらの概念)は新しい革袋(最新の枠組み)に盛れ」といったところだろうか。


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