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じゅんび。

先日ふと思ったことがあり、こんなことを投稿した。

10歳は記憶にないけれど、20歳のときには飲酒が出来る年齢になったこともあり大人になった気がしたと思う(こちらも記憶に薄い)。

今では一滴も飲めない(たまにごはんについてくる食前酒くらい?)のだけれど、30歳手前くらいまでは時々お酒をいただく機会もあった。

30歳を迎える時には今とは違う職場にいて、三十路!と書いてあるプレートが乗ったケーキでお祝いをしてもらった。とはいえ気持ち的には20代後半のまま。体力もまだあったし。

モラハラがひどくて自分の価値が分からなくなっていたところに仕事という面で人の役に立てる自己効力感みたいなものを取り戻せた頃でもあった。

そして30歳を迎えたあと総務部へ異動となりそこから数年、労務管理などをやっていたのだけれど、その時に国際なんちゃらとつく部署のかたと仲良くしてもらっていたこともあり(あと私の仕事に一部翻訳業務があった)そういえば英語というものも私は興味を持っていたんだよなぁとぼんやりながらも気づいた30代前半。

息子が小学校に上がった後でもあったので、転職を意識したのが同じ頃。総務の仕事にやりがいを感じていたので、総務の仕事メインで仕事探しをしていたのだけれど、求人サイトを見ていく中で教育サービスに心を惹かれていた。

もともと大学時代にも教育サービス業に携わっていたこともあり、誰かが成長していくということに価値を感じていた。

最終的に総務で行くか、いわゆる一般事務職に近いものになっても教育サービスにいくのかの選択をするときに、(給与面が良かったから)総務にしようと内定受理をしようとしたとき、ふとこれって息子のせいにしようとしてる?と思い、現職への転職を決めた。何か嫌なことがあったときに、家庭の収入のためにこっちを選んだのにという気持ちが生まれそうだなという不安が出てきたのだ。

そんな言い訳はつけたくない。
そう思って自分が納得をする決断をしたのが約9年ほど前。そのあとコーチング、行動心理など興味が広がりキャリアコンサルタントに辿り着く。

やはりなんとなく回り道をしているわたしの歩み。でもこれも準備のひとつなのかもしれない。

40歳を迎えるわたしは、きっと体力など限界を感じて失っているものもあると思う。でも得てきたものもある。体力気力、限界があるなら何に時間やエネルギーを割くのか。

年末に誕生日を迎えるまで、しっかり今持っている種と咲かせる土に向き合ってみようと思う。

ここまでお読みいただきありがとうございました🐅

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