Workday freewriting

一週間が始まった夜。
タイムカードの時間だけの為に、人生とか言うよく解らないし持て余しがちだけど貴重なソースを費やすのも馬鹿らしいからさ、俺も自分の頭の中にあるよく分からないイメージを形に変えて、何か残しとくわ。
俺はこれから仕事に行くけど、今から眠る誰かに読んでほしい。


人々の一日が折り返し始めた頃に目覚めて生活を回すリズムになってから、俺の時間はどれだけ進んだのだろう?
正直な事言うと、今日は起きたらもう日が沈みかけていたんだけど。
まあ、大体こう言う時はダメな日だよ。
とりあえずC.O.S.Aの『5PM』をケータイから流しながら煙草と水を飲んで、飯を買いに近所のスーパーに行ったんだ。
午後五時のスーパーって言うのは、今から家に帰る人種と、今から何処かへ行く人種とが混ざり合っているんだけれども、楽しそうな二人連れもいるし、疲れだとか苛立ちを表情筋から滲ませている独り身や子供連れもいる。
今日はダメな日だって言ったけど、春の掴みどころがないぼんやりとした憂鬱さにやられていて、俺はここ最近本当に身も心もどうしようもなく鈍くなっていてさ、日常ってやつにこびりつくB面のいなたい空気がどうしても居た堪れないそんな時間になると
「もしかしたら核戦争なんてエンガチョ極まりないモンでも起きて全部吹っ飛んだ方が、平和とか幸せって言う美しい理想に一番近づくんじゃないか?」
なんて、碌でも無い思考に囚われてしまうことがよくあるんだ。

今、デカい国が隣の小さな国に喧嘩を仕掛けて、その周りの国とも緊張感が生まれているから、俺が憂鬱のガス抜きでぼんやりと浮かんだ言葉は口に出してはいけないくらいの真実味を持ち始めている。
そんな罰当たりな口をマスクで隠すようになった昨今、なんだか見えない不安や恐怖ってやつがより色濃く俺たちの周りに漂っている気がしてならない。
争いは人の性だし、正義や言い分なんて立場で違う。理不尽や非道は、多かれ少なかれ喧嘩を売られた小さな国だってやっているんだしさ、正直な事を言うとどっちがどうとかは俺は言うつもりはないんだ。
ただ、大きな思惑と仕組みの中で生きている俺と大して変わらない一般ピープルのささやかな人生から、金だ何だのために血が流れる事に覚える凄く嫌な感情と、それが沸き出す時に匂い立つ自分自身の青臭さがどうしても俺には鼻に付いてしょうがない。
その一方で、俺たちも日々纏わりつく影を安酒やお手軽なセックスで適当に誤魔化したり、弱い立場の相手にデカい態度を取ったり、人間らしい生臭さを上手に取り繕えなかった奴を袋叩きにしてうっちゃろうとする。
センスのない諧謔や何も改善に向かわない正論、そう言ったシンプルな善悪すらが存在しない騒々しいだけの空虚に吹く声が、相変わらず俺に生臭さを届けるんだけれど、俺は知ってるんだ、顔を顰める俺からも人一倍そう言う臭いがしてるのを。
汚い言葉で誰かを罵る事もするし、飯だって不細工な自傷じみて貪るし、女の子のケツに夢中になって自分勝手な醜い振る舞いだってしてるし、夜勤明けに憂さを酒でうっちゃる事も、こんな分かったような口を聞く権利がない程に俺はやっている。
そんな俺だから、ニュースだって、経済、情勢、芸能に至るまで辛気臭いから、正直自分から深く掘る気もしない。
どこからその辛気臭さがどこから来るのか?ここ最近、俺は気づいたんだ。
気付いたというよりも、ふわっとした認識に留めておいて誤魔化す事が出来ない所までもう来ているんだ。
正直に言ってしまうんだけど、自分の無力さと、それを見ないフリしてしまう弱さからその匂いは湧き立っているんだよ。
コイツら、ぱっと見は仲良さそうだけど、所詮は利害が一致しているだけで本当はお互いの事をそんなに行け好いていないから、連む度に摩擦が生じている。
俺の嗅覚に纏わりついているのはきっと、生きるために擦り減る匂いなんだ。
分かった様な事言う俺こそ、実は一番人間らしいっていうマイルドな皮肉が突き刺さる。
そりゃ、てめえで擦り減っている最中に、他人の問題に首を突っ込んでいる余裕なんてないわな。

そうやっていつの間にか、近くの誰かが心配してかけてくれる声より、ケンドリック・ラマーの言葉の方が素直に入ってくるようになる。
距離がある友達とのターン制のような文章のやり取りで言葉の上っ面だけ掬って、相手を分かったような気になってる。
マスクで顔を隠すようになってから、何だか分断という言葉をよく聞くようになった気がするんだけど、俺自身が進んで誰かとの間に壁を作っていた気がする。
色んな事が溢れている今、自分が強く居なければと思って取った所作が、誰かと膝を突き合わせているつもりでも、実は真正面から跳ね除けていただけに思えて最近仕方ないんだ。
ロシアとウクライナの戦争だとか、流行病で始まった疑心暗鬼よりもっと先に、俺自身が誰かに背を向けて、誰かを独りに追いやっていた。
何だかそう言うことに一層歯痒さ、苛立ち、情けなさ、無常感、在りと凡ゆる濁った感情が伸し掛かる。
俺は今、これに書いている通り、小説を書いている。
俺的には、結構真剣にやってるつもりなんだぜ?
これで美味い飯を飯食いたいし、欲しいものも全部手に入れたいし、何よりみんなに刺さったり、ブチ上がる作品を書き上げたい。
でも、現状は、仲の良い連れからも
「お前の小説は正直、好きじゃないんだ。ごめんね」
って言われたり、もっと誰かに届くにはもっと曝け出さないと行けない自分の何かを、また自分の中のプライドやら何やらが邪魔をして、多少書き方が上手くなったかも知れないけれど、何だか薄っぺらいものばかり書いてんな、って、それも何だか俺とみんなの心の距離が遠のくばかりな気がして、ずっと何だかイライラしている。
三年前、俺は自分が久しぶりに書き上げた小説を、人生の中で一番大好きだったあの子に渡した時、
「俺はこれで君を幸せにする」
って言おうと思ってたんだけど、何だか言えなかったし、今読み返したら、そりゃこんな暗くて自意識に囚われている小説じゃ説得力は無いよな、って、正直思ってしまう。
でも、今でもたまに読み返してみると、稚拙さばっかり目につく一方で、この頃の俺は必死だったし、素直だったな、全然悪くないじゃんって思えるんだ。
で、一番大事なことを思い出したんだけど、あまりいいリアクションのなかった彼女も、面と向かって好きじゃない、って言い切ったツレも、こう言ってくれたんだ。
「お前らしくて面白いよ、応援してる」
あれからあの子が居なくなったり、誰かとまた会ったりする中で、一人でカリカリして真面目腐って物書きごっこをしていた俺はようやく最近、苦い一言に添えて俺へ送られた気持ちを、ようやく受け取る事ができた。
何だか少し、空気の悪い部屋に外からの風が久しぶりに流れ込んだような心持ちがしたんだ。
もしかしたら、ゲームの流れを変えられる気がするかも。
本当に最近、心からそう思えたんだ。



年が明けてもう三ヶ月、今日の日付を四捨五入したらもう一年の三分の一に差し掛かる。
俺は年が明けてすぐに発売されたC.O.S.Aの新譜にブチ上がって気合いを入れ直しながらも、相変わらず纏わりつく閉塞感にずっと塞ぎ込んでいた。
取り付く島のない日常は、確実に俺だけの問題じゃない。
いつだって強く賢く人生に向き合えるやつも、そうじゃない奴もいる。
これこそきっと、俺の思い込みだったし、実際に確認したらそうだったんだけど、何だかツレに挫けて下を向いている奴らがちょっと増え過ぎている気がしてたんだ。
何だか高揚している気持ちと、蟠りに昂る気持ちが湧き上がった俺は、気づけばこう言っていた。
「今度の連休、そっち行くわ」
約束の日に俺は春の気候と夜勤の疲れにやられて、ほぼアウトに近いギリギリの時間に家を飛び出して、結局三重から大阪に向かう高速道路の上で、滋賀あたりでバカみたいな渋滞に巻き込まれたから、大阪に辿り着いた時はもう二次会みたいな時間だった。

皆んなと会うのは3年ぶりくらいだったかな?
移動で疲れ切って、久々の梅田の駅近で迷子になっていた時、何時ものメンバーの一人が迷っている俺を迎えに来てくれた。
こいつは寂しさからか、集まりが解散する時もかなり粘るのが時たま面倒だが、面倒見が良くて物腰も柔らかい頼りになる男だ。
彼に連れられて会場のメキシコ料理屋にやっと合流した俺は、挨拶もそこそこにいきなりマルガリータを空腹にブチ込んで、初っ端からいい感じに出来上がってしまった。
でも、三十路半ばとしてはドン引きするくらいグダグダで到着した俺にみんなはいつも通り接してくれていて、結局いつも通りウダウダと盛り上がっていた。
ドラマーの連れはこの後スタジオ練習らしく、あまり時間が共有できなかったが、いつも通り一言二言プロレスして、右手同士で握手して、肩を寄せ合ってお互いの心臓の裏を軽く左手で叩く、俺らのお決まりのハグをして別れた。
相変わらずで安心したよ。でも、顔のむくみが気になるから、酒は程々にな!
あとはいつものメンバーと、仕事はどうだとか、彼女出来たか?とか、最近いい音楽あるか?とか、こないだ西成のホルモン屋に並んでたら大学生にぶん殴られたとか、いつも通りの話。
皆んな色々あるけど、言いづらそうに曇る顔も、腹から笑う顔も、久しぶりに人の感情に触れた気がしたその時、勝手に孤立していたのはやっぱり俺だった事がはっきりして、忍びないような恥いる気持ちが胸に去来したけど、そんな事よりもその瞬間一つ一つに飛び交う表情や笑い声が愛おしくて堪らなかった。
結果、遅刻したお陰で変に畏まらずに進んだから、良かったのかもね。
俺はもっと、心を開いて自分の話をして、人の言葉や言動の機微に思いを馳せないとな、って素直に思えた。
少なくとも、それぞれの事情っていう毎日を一生懸命生きているみんなの所作ってのが、アルバムの頭からケツまで気合が入りまくっているC.O.S.Aの新譜と同じくらい刺激的で、酒カッ食らってえへらえへら、と笑っていた俺ですらが喰らうことだらけだったからさ。
別れ際に、いつも路地裏で飲んでいたり、何時の間にかどこか外国の路地裏で飲んでいる男に、今度西成のやまきに連れて行ってよ、と言い、別れる段になって、少し前まで一緒に小説を書いていた友達にCDを貰った。
一緒に書いている時に色々あったし、近況も少し笑いづらい報告だったが、新しい道を歩んでいる姿を見た気がして、綻んでいた俺の心はそれで完璧な安心を覚えた。



お土産に三重県人の必殺・赤福をバラ撒いて再会を誓って別れてから、俺は5年間ネットで話しているのに初めて会う友達と会った。
お互い、どんな見た目なのかすら、会うまで知らなかった。
大体こう言う時って、お互いが卑屈なくらい謙遜するんだけど、大体会ってみると、お互いが良きにつけ悪きにつき、会話のうちに作られたイメージ程じゃないんだ。
もちろん、そこには優しさもあるんだろうけれど、会ってすぐに
「言うほど太ってないやん」
 と言われて、俺も
「自分で言ってた何かのキャラより可愛いやん」
 って返した、そういう砕けた挨拶から始まった。
地元の友達から
「久々に友達と会うんやし、フルで一日エンジョイしたい気持ちは分かるけど、女の子と会うんやから一軒目で出来上がるなよ!」
って言う、俺への気遣いとエールを込めたエチケットをご教授して貰っていたけど、結果的にはやっぱり一次会から心底楽しんで良かった気がする。
そこからはやっぱり、5年の歳月を掛けてやり取りした文章で知っていたお互いのことを少しずつ、まんざら知らない訳じゃない仲と、酔いの勢いに初対面の緊張感を少し混ぜた、いい感じの雰囲気で、梅田のホテル街での二次会が始まった。
若いカップルや女子会で猥雑に混んでいるが、飲み放題でもカールスバーグがグラスで出てくるし、ウニとイクラが乗った低温調理のユッケなんてインスタに映えそうな飯も美味い、いい雰囲気の居酒屋で、どんな音楽が好きだとか、パンデミックが起こってからお互いの仕事はどうだとか、ゆっくりとお互いの話をしている。初めて会った人と飯を食いながら自分の話をして、相手の話に聞き入る、そんなことも本当に久しぶりだった。
俺は彼女のユーモアと明るいテンションに垣間見える気遣いと優しさを感じて、いつもならこっちも変に気を遣ってしまうんだけど、一軒めの事もあってか、素直に彼女の気持ちが嬉しく思えたから、素直に打ち解けられた。
画面の上でのやり取りでも垣間見えた、どういう人間でどういう事があったかと言う彼女の事情を、彼女が話してくれた時、少し顔と声が強張って躊躇いながら話すのを、俺は少し考える為に虚空へと目を逸らす事もあったが、ただ彼女の顔や素振りを見ながら聞いていた。俺は彼女が話す様から、ただただ色んな経験だけを感じ取って、一つだけ疑問が生まれた。分かったような事を言うのはとても嫌だったが、素朴なそれはすぐに口から溢れた。
「それ、俺に言うて良かったん?」
 先ほどより幾らか和らいだ声で、彼女は答えたんだ。
「うん。アキヒロなら大丈夫やって、何となく思ったから」
 俺の心には何だか救われた気がして、嫌じゃない気恥ずかしさと一緒に和らいだと同時に、あれ?何だかいつもと違うな、と言う感情が芽生えていた。
その後店を出て、道すがらコンビニのカップ氷と小瓶を買って、チェックインしていたビジネスホテルで酒を作ってもう一度乾杯した。
背の高い梅田のビルの間で友達と乾杯したヘネシーソーダは、とても華やいだ味がした。
そう言えば、友達とペコペコカップでヘネシーを飲むなんて洒落こい飲み方は、俺がずっと憧れていた事だったなって、一口飲んだ時思い出したよ。
だいぶ濃く作り過ぎたカップが空になってからも話し続けて、朝日が昇る頃に、ずっと音楽をやってるって聞いていた彼女のバンドの名前と、ラインの連絡先を教えてもらって、またねって言って赤福を渡して別れた。

次の日の昼過ぎ、酒屋で一番安いヘネシーを買って次の目的地へ向かう道すがら、彼女の作った音楽をiTunesで聴きながら走った。
繊細な音色と、穏やかなメロディーと、押さえ気味ながらも力強く、ストレートな感情が反映された詩を歌う曲は、実際に対面した分だけ、表現されているもののディティール一つ一つが見えるように思えた。
アルバムが一周してもう一度一曲めのイントロが始まった時、そう言えば俺はここまで素直に自分の思っている事を文字に認められていないな、と最近ずっと鈍く頭に張り付いていた感情を思い出した。
俺がやるべきことを、彼女の振る舞いと、彼女自身が落とし込まれた音楽に教えてもらった気がする。赤福では何も足りないくらいの贈り物だった。


大阪の喧騒を抜けて、京都の北へ向かう山の中の道は驚くほと静かだった。
途中のコンビニで休憩している時、既に彼女の曲は俺のプレイリストに入っていた。
新しい思い出が増えたプレイリストをシャッフルしながら走っているうちに、山沿いの静かな団地の中にあるツレの家に着いた。
そういえば、お前とはもう大阪の大学で出会ってから十五年来の付き合いになるんだな。俺が大学をダブりまくって、お前が働き出して、少しずつ道が分かれていっても、色々チョンボやらかしまくりながら這う這うの体で卒業して逃げるように地元へ帰った十年前まで、毎週の様に連んでたあの頃が懐かしい。
あの頃からお互い仕事も変わって、実家に戻って、仕事も何回か変わって、それでも毎日のように話しているけれど、いつだってお前と会うと何だか落ち着くよ。
仕事に出ているお前を待つ間、ご両親とお前が大事にしている愛犬が暖かく迎えてくれて、皆んなに配っているうちにどう考えても一個余って来た赤福を三人でお先に失敬することにした。
一人暮らしが長くなっているからか、人の家から溢れる生活感ってのが素敵に思える事が増えた。実家に帰った時や、あの日みたいに友達の家を訪ねると、二十代まで大嫌いだったあの雰囲気は、俺の部屋には絶対的に無いもので、それ故にか相容れない気もするが、今は素直に心地良い。
お母さんに淹れてもらった、いい塩梅という形容詞を抜群に射抜くお茶を啜りながら、色んな話をした。
近畿の北にある山沿いの町では、過疎化で小・中学校が統合された事、お兄さんの仕事の事、お前の普段の事、お前自身の口から聞いたことを違う視点で再確認したり、俺が知らない友達の話を聞くと言う事はいつでも不思議な気分になる。
もちろんそれは嫌な気分ではない、何処かくすぐったさを覚える程、穏やかな気分さ。
そうこうしているうちにお前が帰ってくると直ぐに飯が始まったんだよな。
お前が率先して手際よく作ってくれた鴨鍋を囲みながら、ガヤガヤとゆっくり皆んなで飲むヘネシー、まったりとした穏やかな雰囲気、どれもが最高だった。次第に一人、二人と気持ちよく居眠りし出して、俺も人の家で失礼ながらも食卓にそのままぶっ倒れて居眠りしてしまった。
その節は、大変失礼しました。

目を覚ました頃にはもうすぐ日付が変わる頃だった。
しこたま飲んで気をを失って、気づくと二人きり、これも二十代ずっと続いていた光景だが、かなり久しぶりだ。
漸く、サシの時間が来た。まずは他所の食卓で酔い潰れて寝ていたことを詫びた。
「最近どうだ?」
「良くはないな」
ここまではLINEでも話している通り、何処か心配性の俺たちのやりとりは、ログを見返すとたまにどちらからとも無く少し後ろ向きになる。
こうやって顔を合わせて話してもたまにそうなるが、それでも下らない話を忘れない俺達は、少なくとも俺は意識すらしていない信頼があるからだと自負している。それでも、そんな仲でも、そして、そんな仲だから言えない事だってお互い沢山ある。
「まあ、もう一回飲もうか」
そういうと、どちらからともなくもう一度ヘネシーソーダを作り直して、乾杯した。
腰を据えて久々に飲むと、普段通りの会話が始まった。
それでも、たまに顔を合わせて飲むからだろうか、愚痴に聞こえる声がひとつも聞こえなく、何処か話し辛そうな顔をしながら、訥々と痛みや悲壮感を伴う、ことさら飾りたてのないリアルな独白としか言いようの無い言葉を、俺はまた黙って聞いていた。
忍耐強いお前がこうやって自分の心情を話してくれたのは久しぶりの事に思えた。
それはもしかしたら、俺が思っている以上にお前の声を聞いていなかったからかもしれないが、俺は素直に嬉しかったぜ、とてもじゃないが照れ臭くて直接は言えないけどな。

耳障りの良いことを言いたがるのは、俺の悪い癖で。
とりわけ三十路を迎えた最近、何だか人に軽々しく自分の気持ちを投げかけるのは罪な気がしていた。
それでも、俺は言葉を探し続けている。
今、何を言うべきか?あの夜ははっきりしていたよ。
「やりたい事を自信持ってやって行けば大丈夫だよ」
いつも俺は、何だか人の顔色を窺っている気がするけど、あの夜はそんな事をしていなかった。それでも、大真面目に言ったことだから
「そうやな」
と一言返って来て空気が和らいだ時、俺は少しホッとしていた。
一服するわ、と伝え、俺は煙草を持って外へ出た。

俺が一番気を許している奴の家は、俺が生まれ育った所とよく似ている。
山の麓にある静かな団地の夜はまだまだ肌寒いが、空気が澄んでいるせいか心地がいい。懐かしい感覚を、見知らぬわけでは無い土地でニコチンと一緒に噛み締めていると、普段の何をしていても寂しい気持ちが少し頭を持ち上げる。
煙草を吸うときは、何だか独りでいるような気がする。
孤独は悪い事だろうか?そんな事はない、程々には必要だ。
だが、やっぱり寂しいし、必要以上に自分の事ばかり見てしまうし、他人の事を見聞き出来るほんの細やかな範囲ばかりで判断する癖が付く。
前日に感じた恥入りを少し今日も感じた時、孤独と、そこから来る断絶、そして、その隙間を埋める為に齎された妄想に囚われている事、全て薄々気付いていたにも関わらず、黙殺し続けていた不都合な患部と向き合う、咀嚼する必要を感じた。
それには少しだけ一人の時間に戻る事と、煙草が要る。
今使っている電子タバコは、一回起動すると五分間吸うことができる。程々の孤独だ。
団地の中の電灯と家庭から漏れる光は、どうしたって光量としてはなんとも心許ない。小学生の頃、隣の集落にある塾から自転車で家に帰る時はずっと心細かったし、高台にある家への帰路、麓にある神社の前を通ると、石段の踊り場にいつも誰かが立っている様な気がしてとても嫌だった。
薄暗さへの忌避より、その中で頼り無くも確かに光っている灯りへの親しみが増えたのはいつからだろうか?寒さで何時もより煙の量が多く感じられる街頭の下で、俺は周りを見渡した。
もし今日、二つ離れた電柱の影で濡れた髪の長い女がこちらを睨んでいても、そいつは俺の知っている奴かも知れない。
だが、人影は無く、真っ直ぐ広がる道路の両側に疎な灯りが光っているだけなのを確認した後、振り返った小山の上には鳥居が見える。どうしたって俺の生まれた団地を思い出さずには居られない。
人々の慎ましい生活が染み付いた小さな人里の薄明かりに対して抱いた、どうしても愛おしくてしょうがない感情は、二日間で人と接触した時、俺の胸に去来したものと全くもって同質の物だった。
そして、それは何時からか俺が知らずのうちに目を逸らしていたものである事を、仄暗いスポットライトの下で登っていく煙を眺めながら噛み締めていた。
色んな事を、何となく感じて、そのままにしていた。この文章を書く時だって、何度‘何となく’‘何だか’を繰り返し使った事か。
見殺しにしていたのか、本当に知らなかったのか、それとも、自分に言い聞かせて偶然を装っていたのか、全く定かではないが、その全てなのだろう。何かの切っ掛けや引っ掛かりを見て見ぬ振りする、軽薄で冷酷を併せて酷薄としか言いようのない態度を取り続けていた気がする。
ヒトの生はどうしたって完全な一つには融和し得ない絶対の個である一方で、同程度には一人では生きられない相対だ。
柵(しがらみ)でも孤独でもある。昔のアニソンであったよな、人混みの中か無人の荒野、どちらが泣きたくなるかってさ。両方を肯定してちょっぴり大人っていうの、本当に感覚的にだけど、今になって無茶苦茶わかるわ。
きっとこの家にもあるのだろう、愛から来る喜びも、悲しみも。柵と絆、両方の顔を見せる営みの中で生きる俺、お前、ご両親、わんこ、自分で会社を建てた奴、別れ際に寂しがってなかなか車から降りない奴、毎晩何処かの路地裏で安酒に酔いしれる奴、心に積もる澱に溺れながらも一生懸命少しずつ手を動かしている奴、普通なんて曖昧な価値観と相容れない人生を生きる奴、結婚して子供も出来て仕事を頑張りながらも弛まずライフワークを続けている奴、擦り減りながら目指した目標を諦めて新しい生き方を見つけた奴、家事育児に疲れ切っている奴、都会で良い事も悪い事もたくさん経験して地元で道を探し続けている奴、自衛隊から帰って来て家業を継いで家族を大切にしながら生きている奴、色々あった後に息子が二人とも独り立ちして慎ましやかに生きているうちの親父とおかん。そして、去った奴ら。
人間が何かの意思を持って動けば、そりゃ絶対何かしらの摩擦は生まれて当然だ。
うんざりする事もあれば、儚くもたまに派手な音を立てて壊れてしまう、スプラウトのように繊細な物を守り育む事に耐えられない俺の弱さが作り出した気楽さと引き換えの孤独が、冷たい空気と一緒に俺の肩を抱く。
壊してしまったものが留めている面影や思い出だけは何時までも変わらず、孤独な俺に温かく寄り添う。
時たま苦い思い出を取り出して、年代物のスコッチを啜るかの如く噛み締めたりもする。残念ながら全ての思い出が綺麗に熟れているとは言い難く、暖かさは腐敗の熱をも孕んでいる。良きにつけ悪しきにつけそんな温度が生み出した蜃気楼を、俺自身水晶体を経て都合よく脳で描いているだけにすぎない。廃れた物やもう自分の手を離れてしまった物とは、溝と呼んでも差し支えない距離感ができるから、不都合な空虚をなるだけ美しい虚構で埋め合わせたりカバーアップしているだけに過ぎないのだ。
繰り返しになるが、昨日今日、苦悩しつつも生きているお前たちに会って感じた気恥ずかしさは、俺の日々生きる歩みがそんな死に行く過去に蝕まれつつあり、携帯端末越しの言葉のやり取りだけで、ほんの少し切り抜かれた側面だけで全てを判断していたことに起因しているのは間違い無いだろう。
何と礼を欠いたことだろう、どれだけ会っていようが、互いを理解し合うのは不可能だと言うのに、だからこそ、その埋まりはしない隔絶を満たすために頭と心を使わなければいけないと言うのに!
俺に打ち明けられたネガティブな感情だって、そりゃ当然、俺が不快感を覚えたのと同じように嘘では無いだろうが、誰かに干渉せず、意思と歩幅を尊重し、自分の道を歩むにも、在るが儘を見定めるために、もう少し誰かに寄り添う必要がある事を、そして、それが出来ていない事実を噛み締める俺を置き去りにするように、煙だけが街灯の中を登って、そして夜に溶けていく。

俺もお前たちも、それぞれやりたい事があるし、思う事だって違うだろう。もうとっくに歩く道は違っているのかもしれない。
随分俺の人生からは去った奴もいるし、孤独を感じる時だって何時でもあるが、それでも、誰一人欠けても、時間が経てば受け入れられるかもしれないとしても、居なくなった事自体はどうやったって明るい話題にはならない。
俺たちの誰かが消えても、それで誰かの心に影を落として、まだ人生は続いていく。
悲しみを無理やり肯定するより、馬鹿話して笑ったり、ケンカしたり、一緒にうまい飯を食ったり、今生きているお互いの時間を共有する時間を一緒に重ねる方がよっぽど大切だ。
もう一度だけ言う、人生は続いていく。
だから、また遊ぼう。


俺の中の外に出すのはおそらく許されない逡巡が一服と同時に終わり、居間に戻ると、そろそろ寝るか、とどちらともなく言い出した。
俺は少しだけ、ノートに日記を付けた。
「これをしとかないと、ネタを忘れちまうからな」
何となく想いが言葉に漏れた。カッコつけすぎたかな?と一瞬恥ずかしくなった。
「オオヤケアキヒロには期待してんで」
「おう」
あれ?と思った。俺はこの名前を名乗り始めてから、初めて返事をした気がする。

「また遊ぼうぜ」
「おう、またそっちも行くわ」
そう約束を交わすと、俺は家族総出のお見送りを受けながら、家路に着いた。
高速を降りて家に帰るまでの間、こっちの友達とコメダでコーヒーを啜りながら、仕事まで今回の旅行のことを話していた。
「アドバイスもらったけど、結局ベロベロで‘初めまして’してもーたわ」
とかそんな事で笑っていた気がする。
最近しょっちゅう会っている彼も、仕事の修行で、もうすぐ再び県外へ旅立つ。
引っ越し手伝ってよ、とか、また遊びに行くわ、とか会うたびにお互いが言葉を交わしている。
ウダウダ話しながら、俺はその夜も仕事だったから、またね、と言って解散した。
止まっていても寝ていても、何をしていようがしていまいが、時間は進んでいく。
帰ってシャワーで汗を流して、作業着に着替えてからもう一度車に乗り込んだ時、俺はBGMを高速道路でバチバチにテンションが上がったデフトーンズから、サウンドクラウドにアップロードされている仙人掌に変えた。

走り出して煙草を吸い始めた時、ふと気付いた。
俺が勝手に名乗ったオオヤケアキヒロとかいうよく分からない名前が、人々の間を既にに歩いている事に。
ようやく、自分のやっていると自分の歩調が噛み合い出した、そう思えた。
車のパワーウインドウを開いた時、今までとは違う新しい風が車内を洗った。
この風は、もうとっくに吹いていたのかもしれない。
だが、逃す前に気づければそれで良いんだと思う。

誰かを思う時と同じように、お前の事を俺も思っている。
それはきっと、みんながそうなのだろう。
俺達の生は、過去と邂逅の上に成り立っている。
誰かのためにやるなんてさらさら思ってないけど、俺は皆から感じたものと自分の感じた事をブチかます為に新しい名前を名乗り始めたんだ、それこそ、C.O.S.Aや仙人掌に食らったように。
今の俺がやりたい事は、誰かが俺の書いてる物に何かを感じて、そして俺の周りにいる皆が頷いて揺れてくれる物語を書くことさ。
また集まる時には、景気良い話と稼いだ金でヘネシー持って行けるように頑張るから、皆は皆の思うように生きていけば大丈夫さ、きっと。
何処かの誰かに嘗めた口聞かれても、そのうち本当の実力で鼻を明かしてやる日は来るはずだから。


それじゃ、仕事行ってくるわ。
また会おう。

ここから先は

0字

¥ 500

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?