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昔の自分に勝てない

今日はなかなか落ち着いてPCに向かう時間が取れなさそうなので、はじめてスマホで書いてみている。

同じ「書く」動作だけど、紙に書くのとPCで書くのとスマホで書くのとで、出てくる言葉が違う気がするのは私だけだろうか。スマホで書く私はいつもより軽快に文字が打てている気がする。

そんな前置きはさておき、私はおのれの記憶力のなさにほとほと呆れる。

人の名前も顔も、エピソードも、今まさにかかわっている範囲のことしか記憶できない。

先日は昔勤めていた会社でお世話になった部長(女性)のことを思い出していたのだけど、名前は浮かぶけど顔が全く浮かばない。髪はロングだったかショートだったか、メガネをかけていたのかさえ、思い出せない。コナンに出てくる顔を明かす前の犯人みたいに、のっぺらぼうのシルエットとして記憶に保管されている。

「この本、読みたかったんだよねー!」と思って買った本を読み始めたら「読んだことある」ってことも何度かあるし、「前に○○って言ってたよね」ということにはたいていぽかん顔をしてしまう。

どうしていきなりこんな話をしようと思ったかというと、今とある取材を受けていて、昔のことを聞かれ言葉に詰まることがあまりにも多いからだ。

それは移住にまつわる取材なんだけど、東京時代と今との変化を向こうは知りたいわけで、でも東京時代の忙しかった頃のタイムスケジュールとか、もうほとんど忘れてる。断片的な記憶をつなぎ合わせてなんとか話をする。

忘れてしまった過去は、もう存在しなかったもののように思ってしまうけれど、たしかにあった過去で。私の場合、その一部は「ブログ」という形で残されている。

さすがに事細かいタイムスケジュールまでは残されていないと思うけど、その当時なにに葛藤していて、なにを大事にしていて、なにに必死になっていたのかが見て取れる。。。のは知っている。でも読み返すのが今は怖い。

10〜15年前くらいの私は、何者かになりたくて、でもなれなくて、もがき苦しんでいた。

平日日中は会社勤めをしていて、子育てもしながら、なんとか「自分の時間」を捻出しようと「朝活」をしていた。朝活の時間でせっせとブログを書いていた。(必死に朝活してたことを、取材をキッカケに思い出した。)

ブログを読むと、その頃の私が今の私を見てくるような気がしてしまう。だから怖い。今の私は、当時の私に勝てない気がする。

今の私は、子供たちも大きくなり手が離れつつあり、フリーランスになり時間の自由が格段に増えた。趣味として打ち込んでいた写真でお仕事がいただけるようにもなり、東京の狭小マンションから愛媛の庭&畑付きの広い一戸建てに引っ越した。

条件的には断然充実してそうだけど、内から湧き出す燃えるような気持ちは当時の私には敵わないと思ってしまう。

あ、最初に書きたいと思ったことからズレてきてしまった。そうそう、記憶力の話だったっけか。

私は昔のことを全然記憶できないと思っていたけど、もしかしたらあえて忘れてる側面もあるのかもしれない。あえて忘れることで、成長していない自分を直視しないでいる。なんか、情けないな!

スマホで書くと、なんだかすごく内向きな言葉があふれてくる。おもしろい。こんな散文でいいんだろうか?という疑問は残しつつ、今日はこの辺りで締めくくろう。

今日も読んでくださりありがとうございました!

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