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Think Globally, Act Locally

全体最適と部分最適もなかなかやっかいな問題だが、部分最適とは、企業について言えば、自分が所属している部や課のことだけを考えて、会社全体でみれば、自部門の業務が他部門と連携がとれているかどうかといった視点をもたない、あるいは考えないことだろう。
企業というところは、事業に関する情報は、事業に参加する関連部門や協力会社相互に共有し、まさに同じ屋根の下にいるかのように、同じ目標に向かって共同事業体としてオープンで、迅速なビジネス活動ができる状況が、全体最適といったことになるのだろう。

そもそも企業活動や人間自体の行動が単純でないだけに、この問題はなかなかやっかいなところだ。
また、全体最適を目指したが、よい結果につながらないときもあり、とくに経営者にとって経営判断をどのようにおこなっていくかが問われる。
最終的な結論は、企業が目指した経営方針に対して、経営者の経営判断と企業業績(結果)からだろう。

これまでの経営では、一般論としては、全体最適の考え方をするのが経営者や取締役の役割だったのだが、企業の中には部長や課長でも全体最適を考えている人間がいたりする。
かなりまれだが。。。
こういう会社は、自由度が高く力強い事業推進力を発揮する。
人間が単独で独創性を発揮する分野は限られており、やはりチームや会社内のベクトルが合っているほうが、事業内容がよく、高い業績を生み出している。

他方、企業内に自部署さえ良ければ、他の部門に負担がかかってもかまわないと考える部長や課長が存在すれば、会社内の仕事はスムーズに進まなくなっていた。
他部門の作業性や事情まで配慮できる社員が多数いる会社と言うのは、コミュニケーション(コミュニケーションをするとは、そもそも変わることが前提でおこなうものらしい)もよく、働くことが楽しい職場であり、従業員のやりがいと働きがいがあり、顧客からの信頼が厚い企業だろう。
企業では、自分の事情だけでなく、他の社員や他の部門のことに気配りができる社員であって欲いし、そういう社員は社内で信頼されていた。

今日、どことは言わないが「自分の会社さえ良ければ」と考える企業(経営者など)が多くなっているように思う。
自分の会社だけでなく、社会全体に配慮した行動が出来る企業だけが真の成長を可能とするだろう。
ひとつひとつ具体例は書かない。
一部の大手企業では、見るも無残な惨状だ。

また、個人においても転職が可能な時代だが、部分最適化して自分さへよければといった考え方だけで転職をすると、とんだ考え違いだった、と気づくことになる。
転職とは、そもそもスキルや実行力があり、成果を出してきた人間がおこなうから社会を全体最適化していくのだと、私は考えている。
身近な転職者事例は、たくさんあると思うので、自分で探してみることだ。
このようなタイプの転職者が増えることは大賛成だが、時代の流れのなかで、売り手市場だけに身を任せた転職者には疑問を感じる。
私だけだろうか。。。

下の図は、全体最適と部分最適のイメージだが、国とておなじように部分最適ばかりの考え方や活動になれば、国力は確実にそがれていくだろう。
どのように全体最適化を進めるかは、いわばグランドデザインだが、それこそ政治の役割だが、ここが一番部分最適化しているから問題であり、この国の将来が危ぶまれる。

部分最適のイメージ
全体最適のイメージ


管理部門でよくやることだが、例えば、総務でおこなっていた仕事を経理でやってもらう場合、仮に本来、この業務が経理部門の管轄であったとしても会社全体でみれば業務の作業量はほとんど変わることがない。
総務部門の仕事(作業量)が減少しても会社全体では作業量は一定である。
ただし、経理部門では、間違いなく作業量が増加する。
よくこの仕事は、どこそこの部門や誰それに振れという人達がいるが、エライ人にとても多いのだが、こういう人達は部分最適(自分だけがよければ、または自部門だけよければ)だけ考えて、そのような行動にでているケースが多い。
一定期間眺めていれば自ずと判断できる。

複数部門にまたがる問題をそれぞれ克服して双方の作業量が減少するような対策ができて初めて全体最適となる。
当然、簡単に対応できないことが多く、仕事を自分の部門からみながら相手の部門との関係性をつかみ、双方の共通認識がもてて初めて改善行動へ移すことができる。
コミュニケーションが悪い組織では、こちらが善意で対応しても、前向きな改善行動に移行しない。
考え方の共有ができるまで辛抱強く対応するほかないが、このようなことができないタイプの人とは、なかなか共有すべき課題について連携をとることが難しい。

ソニーの盛田さんは、よく次のように言っていたらしい。
当たり前だが、私は、直接聞いたことはない。

Think Globally, Act Locally
「国際的に考えた上で、局地的な行動をせよ」
「全体的に考えた上で、個別の行動をせよ」

私はそれに加えて、次のように言いたい。

Think Socially,Act Human.
「社会的に考えた上で、人間として行動しよう」

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