性同一性(性自認、ジェンダーアイデンティティ)についての覚書

現時点で、自分は自分の性自認を便宜上ノンバイナリーと言い表している。
だがこの辺りの認識は、
そもそも何をもってして性自認なのか?性自認って、性同一性ってそもそもなんなんだ?ジェンダーロールやらフェムや中性みたいなスタイルの話やらはそれぞれ何で、どう違って、どう感じれば何なのか?
…と自分の知識不足や新しい知見が日々増えていくのに影響されて正直なところ整理しきれておらず、ごちゃごちゃになってしまっている。

特に、ここ最近は自分の性自認(性同一性、ジェンダーアイデンティティ)について色々と考え直している。
性別にまつわるややこしすぎる事情に思いを馳せるきっかけになったのは、自分が幼い頃から所謂女の子らしい遊びも男の子らしい遊びも好きで、それらに無理矢理性別を結び付けるのが変に思えたことだ。
ここまでなら、別に女の子だって男の子らしい遊びをしていいし髪を短く切って戦隊モノの筆箱持ってたっていいじゃない!女らしさ男らしさを無理矢理決め付けて押し付けるのはやめろ!の話だ。
私が以前に書いたノンバイナリーについてのnoteでこのあたりの話を結構した。あとは、中学生の頃に同級生から「女捨ててるね」と吐き捨てられてそもそも拾った覚えないな?と疑問に思ったこと。でもそれは、私が所謂女らしい振る舞いに従わなかったから貼られた異端のレッテルでもある。
あれ?私ってノンバイナリーっていうか単にらしさを押し付けられたくないだけの人なんじゃ?という気付きが一時期あった。ノンバイナリーという肩書きは私にとって必要か?というnoteも書いた。自分を決まった属性に縛り付けないための助けとして便宜上ノンバイナリーを名乗るという結論をその時は出した。

だが、その上でまたもう一度、むしろ真っ先に考えるべきだったかもしれない性同一性について掘り下げたいと思った次第である。
そもそも、自分の性別をどう認識しているのか?
こんな服装が好きとか、こんな遊びが好きとか、好みやらしさの話とは違う。
あなたの性別は何ですかと聞かれた時に私の口から出てくるであろう答えだ。

私は中性的な装いや振る舞いに憧れ、それらを好んでいる。そういうところにまで性別を結び付けられることをとても不快に感じる。私は性別にとらわれないスタイル‪を望む、否、自分のスタイルを性別にとらわれたくないのだ。
それはいい。では、私が思う自分の性別は?

そう自分に問い直してみて悩んだ。自分でも思っていた以上に私の頭の中では性別や○性らしさやその他諸々の認識がこんがらがっていた。

だが、そうして自分の中の知識の曖昧さに直面したおかげで気付くことがあった。
そもそも即答で自分の性別を女性と答えるのに抵抗を感じている時点で、やっぱりどこか、自我の時点で私のジェンダーアイデンティティは完全な女性ではないのではないか?と。
これは好みやスタイルの問題、と切り分けて抱いている感覚をよりシンプルにしていっても、
「自身が完全に女性であると言い切れない、という理屈で説明し難い認識」
が自分の中に残ることに気が付いたのである。

自分の性別を男性だと思っている、わけではない。
だが自分の性別を女性だと思っている、かと言われると。
何だろう。客観的には自分の体はいわゆる女性に分類されるものだし、その観点でいくなら女性なんだろう。外見を捉えて表すなら、女性に振り分けられるだろうな。という、どこか一歩離れた場所から観察するような感覚しかない。所謂、心まで疑いようもなくし女性ですか?と問われたとしたら……いや、やっぱ選んだ覚えがない。ですか?と聞かれても知りませんよ、気づいたらこうだったんです私には分かりません。と言いたくなるかな、というのが自然な気持ちだった。
あなたは自分を女性だと思っていますか?への私の回答は「知りません、よく分かりません」だった。

私も社会人の一人として、悲しいほどに建前を使いこなし、便宜上とりあえずこう、という選択をすることにあまりに慣れ切っている。何よりも先に行動の型としての安牌が分かっている。
だから、女と男の欄があったら女にチェックを入れられるし、女性の方はこちらで着替えてくださいと言われたらそれに従うことも出来る。だから余計に、自分を自分で女側に振り分ける時、それは社会からの要求に応えているからなのか自分の自然な感覚なのかもはや全く分からない。
自分の性別をくっきりどちらかに分けなければならないことを要求と感じる時点でその性同一性は女性と完璧に一致するとは言えない、
という話だとしたら早いのだが。

ともかく、ノンバイナリーという肩書きは私にとって単に便宜上の便利な避難所ではなく、やっぱり本当に自分自身を表すのに適切なこ言葉であるかもしれないと思った次第だ。
だがもっといえば、よく分からん、が正直なところでノンバイナリーと決め切るのすら自信がないため真にあやふやな状態で置いておきたいという気もする。

思いついたその時に書いておこと思いこうして覚書をするに至った。

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