多数決は本当に良い方法か?
本日は「多数決」について考えます。
この写真はスイスのアッペンツェルの町の中心にある「青空議会広場」の様子です。
ここでは約3千人の有権者が集まり、挙手による投票を行っています。
挙手は右手で行い、両手は無効投票になります。
また、過半数が見極められない場合は、一人一人数えるそうです。
記録に残っている最初の議会は1409年に開催されたそうです。
このような原始的な民主主義の投票は今は観光地として親しまれています。
ここからが本題です。
1.民主主義と多数決
現在の日本は議会制民主主義という政治体制をしており、国民によって選出された代表者が議会を通して話し合うことで、意思決定する形がとられています。
すなわち、国民投票で選ばれる議員も、議員によって採択される議題も、すべて多数決の原理に沿って決められているということです。
また、学校生活においても、学級の決め事や生徒総会など多くの場面で多数決が採用されているのではないでしょうか?
もちろん、多数決による採択は、全会一致に比べて時間も短縮できるうえに、過半数の賛成を得られるという点において画期的な採択方法だと思います。
しかし、多数決がよい!と思っている人たちにここは1つ議題を投げかけたいです。
2.多数決という名の責任転嫁?
スマホのない国に、100人の国民がいたとします。
国民投票において「スマホを導入するかどうか」を決めることになりました。
結果は、「導入賛成:導入反対=80:20」だったとします。
国民投票の結果その国はスマホを導入しましたが、情報リテラシーのなさから虚偽の情報が国中に蔓延し、国内は毎日大混乱になったとします。
このとき、国内が大混乱になった責任はどこにあるのでしょう?
80人でしょうか?国王でしょうか?
おそらく反対に投票した20人は不満を爆発させるでしょう。
しかし、この怒りをぶつける場所がないのです。
参政に投票した80人も、1人の投票に重みがないため、そんなに罪の意識を1人で持つことはないでしょう。
「私は1人が悪いのではない。」「悪いのは国王だ。」などと言い出すかもしれません。
賛成に投票した自分が悪いのにもかかわらずです。
自分ですべての責任を負うことなく、決定権を下せてしまうのが”多数決”なのです。
3.「多数決=良い決め方」ではないのかも
ここまでで、決して多数決が悪いと言いたいのではありません。
ただ、時と場合によっては「多数決=良い」にならないということです。
特にこれは、何かの”リーダー”と呼ばれている人にはよく考えてもらいたい議題です。
時には、80人の意見を裏切って20人の方の意見を採用して、突き進む決断力が必要な時があるのです。
「納得解」の記事(6/9)にも書きましたが、リーダーが自分の納得解に従い、責任をもって決断すること。
その解を正解にするために尽力することが求められるのです。
ファシズムを肯定するわけではありませんが、ヒトラーのように責任を一身に背負うような人も見方によっては、現在のリーダーに必要な素質を持っているのです。
4.おわり
いままで「普通」だと思っていたこと。
今回で言えば「多数決」ですが、それらを批判的な目で見つめ、考え直すと今まで気づかなかった点に気づくことがあります。
肯定すること、否定することもどちらも持ち合わせてこその「批判的能力」です。
なにか、「これってどうなの?」と思ったことがあったら、ぜひ共有してくださいな。
今回も読んでくださりありがとうございました!