夢中になるのが怖い(2)

何か一つに集中する時、人は無防備とも言えると思う。周りの音が聞こえなくなったり、特定のものしか見えなくなったりする。作業効率は上がれど、危険予知といった面では弱い状態では無いかなと思う。


思えば私は物心ついてから安心感をあまり感じられず育ってきたので、何かに夢中になると言ったことが難しかった。
親の機嫌をこれ以上悪くしないようにと常に気を張っていたから、手放しに夢中になる事が出来なかった。その感覚が無意識に染み込んでいるのかなと最近思う。


集中するのが怖い。何かひとつに没頭し、無防備になるのが怖い。そうして漠然とした恐怖を言葉で認識できるようになると、別の一面にも気付いた。何かに夢中になると、時間があっという間に過ぎていく。充実しているとも言えるけれど、そうして時間を溶かした先に、何も残らなければもっと怖い。そんな感覚が強くあった。


不登校で学校に行けなかった私は、家に安心して過ごせる場所がなく、時間をとかすような余裕は精神的に無かった。学校に行けず、他人と関わりのない不完全で無価値な自分に、何かを楽しんだりして過ごす時間は許されず、みんなが勤勉に打ち込む間、私は何かを為さねばならないと思っていた。今でも手放しに何かに夢中になって楽しむ事が出来ない一端に、こうした記憶がへばりついているのかなと思う。


これ以上失敗は許されない。ただ生きているだけでも許されない。緊張した状態で、結局のところ私は何も出来ずに、失敗作としての記憶だけ強く残ってしまった。
努力の出来ない人間。頑張っても出来ない人間。人よりも万倍頑張ってようやく1人前になれる人間。そんな自己像が出来上がった。
なにかに取り組むのは怖い。無能がバレればそれは居場所を奪われる要因だったから。
しかし社会は想像よりも優しかったりする。これらは私の妄想で、現実にある問題よりも実際はずっと穏やかで平和だったりもする。
このギャップを少しずつ埋めたい。その為にアウトプットを止めない。夢中になりたい。好きなことを好きだと言いたい。その為の練習です。

また書きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?