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参加者アンケートより

この度、第20期NPO総会の特別企画として、ベルリンのザクセンハウゼン強制収容所記念館ガイドの中村美耶さんと、新刊『未完の敗戦』ご著者で戦史・紛争史家の山崎雅弘さんのトークセッションを開催しました。

ご参加いただきました皆様、ありがとうございました!

アンケートにたくさんの感想をお寄せいただきましたので、ご紹介します。

今の日本(右傾化・保守派の人たちの考えなど)からホロコーストを見直す、またはホロコースト(人種主義・全体主義など)から今の日本を見るなど、歴史を考える上で、視点のお置き所によって全く異なる様々な様相が見えてくるなと思いました。報道などでよく見聞する両論併記についても、その意味を改めて考えるきっかけになりました。「負の過去」を知ることや反省だけでは確かにつらい。けれど、「負の過去」を認める強さは、過ちを繰り返さずに未来を生きていく原動力になると思いました。(40代)

中村美耶さんのトークセッションということで、楽しみに参加させていただきました。中村さんは、ドイツに暮らしザクセンハウゼン強制収容所記念館のガイドをされている中での出来事や自分の中でひっかかったことなどを率直にお話くださるので、日本に普通に暮らしていたのでは出会うことのない気づきや問いを投げかけてくださいます。今回はお一人でお話しになるとき以上に、知的刺激に満ちたものでした。中村さんと山崎さんのお二人が響き合い、キャッチボールしながら議論を深めていく、こんなにもおもしろいトークセッションはなかなか聞くことができないと思います。

特におもしろかったのは、いま日本に第二次世界大戦をふりかえる施設を作るならば、どこにどんなものを作ったらよいと思うかという中村さんの問いと、それに対する山崎さんの応答でした。山崎さんのご提案通り、東京のど真ん中に、しかも靖国神社のすぐそばの、九段会館に日本版トポグラフィー・オブ・テラーのような施設ができたらどんなにかいいでしょうか? 過去の戦争の過ちを反省する場もなく、昨今それを知り考える教育の機会もどんどんなくなっていく・・・こういう方向にどんどん進んでいって、この国は大丈夫なのだろうかと、昨今本当に不安に思います。ドイツにあって日本に足りないもの、いま本当にこの国に必要なものが、この問いで見事に明らかにされました。この問いを思いつかれる中村さんの発想の豊かさに惚れ惚れです。

これまでも、日本があの戦争を総括していないこと、戦争責任をうやむやにしてきたことが問題だとは思っていましたが、今日のお二人の話をうかがい、改めてそのことが今につながる根本的かつ重要な問題であることを認識しました。「新教育指針」も山崎さんのご著書『未完の敗戦』もぜひ読みたいです。

次回の中村美耶トークセッションでは、どなたと対談されるのでしょうか。新たな歴史への扉をあけていただけることを楽しみにしています。いつも学びの機会を与えてくださる石岡さんをはじめKokoroに感謝申し上げます。(60代)

「表現の不自由展」に行き、《平和の少女像》に込められた沢山の思いを知り、《少女像》の隣に座りました。高校生が書いた、いわゆる日韓「合意」を知って日本軍「慰安婦」の「被害者たちの尊厳はどうなるのかと憤りを感じ」描いた絵を見て、様々なことを考えさせられて、様々なことを思いました。「表現の不自由展」で見たもの、考えたこと、感じたことを、誰かに話したい、誰かと話したいと思ったのに、誰にも話せなかった。いいえ、話さなかったのは私です。同じ日に行った、立川プレイミュージアムの「どうぶつかいぎ展」や「ぐりとぐら しあわせの本展」の写真は自分のInstagramにまで載せたのに。。そんな、自分にモヤモヤしました。

なぜ、話さなかったのか、伝えられなかったのか、今日の話を聞いて、まさに、反省すべき戦後の「精神文化」を無意識に受け継いでいた人の中には私もいるのかもしれないと思いました。議論を避け、自分の意見を言うことに抵抗感を持っていて、自分の意見を伝えることが苦手で、何もしない。だから、「負(加害)の歴史」は日本社会から忘れ去られていく。私は、自分自身が「負(加害)の歴史」を忘れない「責任」は果たしているといえるのかもしれません。しかし、二度と繰り返さない「責任」やこれから起こるかもしれない人権侵害、今起こっている人権侵害に対する「責任」は全く果たせていないのではないかと思いました。私に、何ができるのか。「精神文化」を捨て、自分の殻を破るためにはどうすればいいのか。今はまだ、まとまらないし、できるかもわからないけど、第一歩として、この感想を書きました。『未完の敗戦』を読み、その感想をだれかにシェアできたらと思います。今日は考えさせられるトークを聞かせてくださりありがとうございました。(20代)

総会から出席させて頂きました。(限られた予算の下での)皆様の地道で実践的なご活躍、本当に頭が下がる思いです。特に若い皆様の積極的なご尽力、頼もしく将来の強固な礎と明るく感じました。皆様の益々のご発展、祈念致します。(長年活動なさって居られて、多くの生徒さんやご両親、教育関係者がNPOをご存知なはずなのに、本日の出席者数の少なさに驚きました。ご案内を限定なさったのでしょうか、其のうち背景を存じ上げてみたく。)

第二部のダイアローグ、興味深く拝聴させて頂きました。スムースな進行、企画・運営の皆様、有難うございました。ただ、ドイツ・日本の優劣よりも、もう少し具体的に、遠い欧州でのホロコーストの日本人に対する意味合い、日本人はホロコーストからどの様に人道主義を学んだらよいのか、ホロコーストの学びによって日本の人道的課題をどの様に考えていくのか、等々NPOに関連したお話に集中したらよかったのになとちょっと思いました。以上 (60代)

第一部からご出席いただいたとのこと、ありがとうございました。対象は限定せず、どなたでもご参加いただける会でしたが、「総会」というと少し敷居が高いイメージがあったかもしれません。皆様の口コミが何よりも私たちにとっての大きな力となります。ぜひご紹介いただけたらうれしいです!

確固とした信念をお持ちのおふたりのトークセッション、非常に高い熱量で2時間があっという間でした。中村さんがお聞かせ下さった80年代以降のドイツで行われてきた「世代間における責任所在の明確化」は、私が常日頃心行っていること(故に一部の人たちからは徹底的に嫌われる)が間違った道筋ではないということの大きな励ましになりました。また次の機会を楽しみにしております。(50代)

対談の始めに触れられた新教育指針は、とても興味深かったです。加害の事実から目をそらせようとする日本の歴史認識の中で、このような反省がなされていたのは大切だと思いました。また、教育の現場で日本人は民主主義的な議論をする機会が少ないという点も、身につまされました。問題意識を持つ、話し合いの俎上に挙げてみる、異なる立場の人同士の対話を持つことの重要性を感じました。ディベートやディスカッションを授業で取り入れる際も、このような観点に留意する必要を感じました。『未完の敗戦』をはじめ、いくつか紹介された映画にもは触れてみようと思いました。(50代)

敗戦直後に文部省の出した斬新な教育改革が結局は実行できなかった原因として、戦後まもなく米ソ対立が激しくなり、アメリカの方針転換によって日本を民主化するよりも反共の同志にすることが優先されたという説明がありました。私もその通りだとは思うのですが、それだけではないと思います。西ドイツは敗戦直後から東西対立の真っただ中に置かれ、最初から反共の砦とされました。戦後復興を優先して多くの元ナチ党員が西ドイツの各界の要職に返り咲きました。それでもドイツは長い時間をかけて過去に取り組む姿勢を確立していきました。日本とドイツの社会の根底にある違いは何なのでしょうか。山崎さんのご著書を読ませていただきたいと思います。(60代)

講師の一人、山崎先生とは共通点があって驚きました。生年が同じ1960年代、戦記作家として軍事モノのマニア誌に寄稿されていて、アート寄りのグラフィックデザイナー。それでいて、歴史に対する確とした視点には驚かされました。今後も、氏にレクチャーを依頼してくださいませ☆(60代)

日曜日は予定があってリアルタイムでは参加できなかったので、Youtubeアーカイブ見させていただきました。

新教育指針、戦後1年でこんなにきちんと戦争に至った過程とその根本原因を客観的に見据えて、未来のための改善策を出していたことに驚きました。しかしわずか数年後に冷戦による方向転換で、骨抜きにされ大日本帝国時代の精神と価値観が復活してしまったとは。

冷戦によるパワーバランスで、ナチ時代のメンバーが社会の重要な役職に戻ってきたのは西ドイツでもあったことなのに、日本と何が違ったのか? 中村さんは60年代の学生運動時代に、親世代に過去何してたのか問い詰めた子世代のことを話されましたが、これも日本でもあったことですよね。でも日本では社会全体の問題というより、家族内の子の親への反抗という問題に回収されてしまった感があります。その原因はやはり、親世代子世代共に対等に冷静に議論するという素養がない、そうゆう教育を受けてないことだったと感じました。

現在の教育でも大きな足りない部分と思うのに、考えて互いに議論すること、クリティカルシンキングをさせないことを目指しているとしか思えない、今の政治の教育への介入には危機感を覚えます。

また「考えさせない教育」というのは白か黒か曖昧な物事への耐性を減らしていくように思います。白黒でも善悪でも敵味方でも二分割思考は非常に危うい。

結論出ずとも考え続けること、わからないことは一旦保留する勇気は、間違った時に方向転換できる力でもあってとても必要なことと思います。

もっとも私自身が間違うこととそれによって恥をかくことを恐れているし、正しい答えがあって間違ったり先生の望む答えでなければバツになるという、小中で受けた学校での影響は未だに大きいと感じています。学校だけでなく家庭やご近所での振る舞いも、日本は間違いや失敗を許容しない雰囲気が強くて、今は社会経済政治の失敗まで自己責任と言われて、若い人は本当に苦しいと思うし、変えられなかったこと申し訳なく思ってます。(50代)