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わたしの生きる証。

わたしは、
毎日、日記をつけている。

本を読むとき、必ずメモをしながら文章を読み進める。

授業は板書だけではなく、
先生の発した言葉もメモする。

セミナーなどのイベントに行ったら、
必ずメモを取る。

質問するときも、原稿のようなものを書いてから発言する。

今、卒論を書くために
先行研究として、過去の論文を複数読んでいるのだが、
それでさえ、ルーズリーフにメモしている。

これらは、全部手書き。

論文を読みながら、
わたしは、なんでこんなに効率の悪いことをしているのだろうか?
と、疑問に思ったことがきっかけで、
今、分かったことがある。

それは、「自分の感情やインプットした情報を忘れたくない」ということ。


わたしは、忘れっぽい人間。

とにかく、よく忘れ物をする。
家は2回出入りしなければ、出発できない。
今日は、家の鍵をどこに置いたか忘れ大慌てした後に、
授業で使うルーズリーフを入れ忘れた気がして取りに帰った。

本当にどこに置いたのか分からない、
準備したのか、思い出せない。

こんなことが日常茶飯事。


一度、目を通した文章も、2,3日経てば、
忘れているので、新鮮な気持ちで同じ文章を読める。

人から聞いた話も、概要は覚えているけど、
詳細は覚えていないので、
目の前の人に聞いた話を共有することにはとても苦労する。

2,3日前の出来事も食事も、
ぱっとは思い出せない。(これはほとんどの人が当てはまる?)


このように、色々なことを長期的に記憶することが苦手なわたしが、
生きていくために身に着けた記憶方法が
「手で文字を書く。」
ということなのだ。

で、noteに文章を書く意味は、
自分の頭が、考えていたことを少しでも
覚えていたいという欲があるからだろう。

自分の頭で考えだした答えを
とにかく文章にして、記憶しておきたい。


しかし、過去の自分のnoteや日記を読み返しても、
同じ感情に戻れないという不思議な現象も起こる。

わたしの身体を使った別人が書いた文章を見ている感覚になる。
それぐらい、当時の自分を思い出せない。

だから、
本当は「記憶」じゃなくて、「記録」して
わたしが生きた証を残したいだけなのかもしれない。

それでいい。
これが、わたしの生き方。


ということで、【新たな自分との約束】
毎日、noteチャレンジしてみます。(負担にならない程度に。)
何日続くのだろうか…。(笑)




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