見出し画像

わがまま

先日、大好きな友人に、
「わがままだね。」と言われた。

それでも、わたしは、わがままを貫き通すために、
今日、髪をピンク色に染めた。

就活はしない。
本当にしないですよ。
と、自分の頭にも心にも分からさせるために、
この宣言を外見から謳っていく。

そんなことはさておき、
「わがまま」とはなんだろうか?と考えてみた。

辞書で調べたところ、
相手・まわりの者の意に反して、無理な事でも自分がしたいままにすること。
したいほうだい。
だと、出てきた。

今のわたしに、とてもしっくりくる言葉だ。

最近だと、
知り合いと一緒に旅行する約束を、自分の気分の変化で断った。

最低だ。
でも、最低だと分かりながらも、
わたしは、自分にも他人にもウソがつけない。

だから、断るを選択してしまった。

しかも、この1件だけではない。
過去に、同じように約束を破ってしまったという経験が
何度もある。

配慮に欠けている。
まさに、「自分がしたいことをしたいままにする」を
体現している人間であることが分かる。

では、どうして、
わたしは、「わがまま」なのだろうか?

この答えは3つあると考えている。

今までのわたしの人生。

1つが、わたしの生きてきた環境。

今までの人生、ありがたいことに
やりたいと思ったことは、すべて経験できた。

中学も、高校も、大学も自分が行きたいと思ったところに
入学できたし、
部活もテストも1位になりたいと願えば、
その通りに動ける人間であったので、全て手に入れてきた。
(高校卒業するまでのわたしの話。)

特別、裕福というわけではないけれど、
両親にも恵まれ、何不自由なく生活してきた。

当時は気づかなかったけど、
大学生になり、社会を知る、
全く異なる境遇を生きてきた人を知ることで、
自分を客観視することに繋がり、
わたしという存在が、どのように作られてきたのかを
知ることとなる。

良くも悪くも挫折したことのないわたしは、
今まで、通用してきた「わがまま」が
これからも通用すると、
安易な考えで生きているのだろう。

そんなに社会は甘くないぞ。
と、ささやく声も聞こえるが、
今まで、このわたしで生きてきたのだから、
今後も生きていけるだろう。

と。心のどこかで、
そう、思っているのだろう。

だから、今のわたしで、通用しないと
自分の頭と心が理解したときに、
わたしは、「わがまま」を辞められるのかもしれない。

どん底を経験して迷惑をかける。

「わがまま」な理由の2つ目は、
どん底を経験したことではないかと思う。

わたしは、度々、高校生の時に不登校になったことを文章に残している。
この時、いちばん辛かったのは、学校に行けなかった事よりも、
両親が悲しそうな顔をしながら、
わたしの顔色を毎日伺っていたこと。

自分のせいで、母親がノイローゼのような状態になったときは、
見るに堪えないものがあった。

この経験を通じて、
わたしが、心を病んでしまうことで、
誰かに迷惑をかけてしまう。
ということを実感した。

それ以来、わたしは、自分のメンタルケアには
細心の注意を払ってきた。

その中でも、わたしにとって、
一番メンタルを保てる状態が
「自分らしくいる」ということ。

自分で選択をすることで、自分の行動に責任が持てるし、
次のアクションを起こしやすくなるので、
心が沈む前に、行動という予防ができる。


両親を介在させている以上、
「わがまま」からは、
若干、離れる気がするが、
両親に迷惑をかけないためにも、
わたしは、「自分らしくいる」という名の
「わがまま」を貫き通しているのかもしれない。

人生への期待。

そして最後に1番、大きいのは、
自分の人生を諦めたくないということにあるのと思う。

わたしは、他人の価値感に触れることが大好きだ。
その中でも、自分という人格を楽しそうに、
生きている人を見るのが特に好きだ。

わたしも、自分が見てきた人たちのように
楽しく行きたい。
このような羨望が、
わたしを、「わがまま」な、ままでいていいよ。
と、許容しているのかもしれない。

わたしの憧れる人は、
みんな自分をもって、生きている。

憧れる人たちの姿が、とにかくキラキラして見える。

そんな存在に近づくために、
わたしが必要だと考える「個性」を発掘するために、
「わがまま」な人格を、わざと主張しているのかもしれない。

これら言語化したことによって、
今のわたしは「わがまま」だということを実感する。
それと同時に、
「わがまま」を悪いことだと思っていないことに気づく。


人には、寿命がある。
だから、我慢ばかりして生きるのではなく、
1秒でも長く、
生きていて良かったと思える時間を、
人生を、
紡いでいきたい。

就活を一度、辞めるという決断をしたからといって、
遊び惚けるのではなく、
自分と、しっかりと向き合うための時間にしていきたい。

「わがまま」な自分を「個性」を捉え、
正当化していくのか、
これは、違うと判断し、変わっていくのか…。

明日以降のわたしの動向を楽しみに生きてみようと思います。

本日も一貫性のない拙い文章を最後まで読んでくださり
ありがとうございました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?