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SOS

「キラキラしている人だと思っていました。」
1年前からの知り合いに、そう言われた。

多分、去年はそんなオーラを放っていた気がする。
そう取り繕うことが、
わたしの人生の質を高めていると思っていたのだろう。

でも、今はキラキラしたいとは、思わない。
世の中の出来事に感動することが極端に減った。

美味しいはずのものを食べても、
「こんなものか」で終わるし、

綺麗な景色を見ても、「こんな感じね。」だし、

人に自分の考えが理解されなくても、
「でしょうね。」と思うようになった。

わたしは、
わたしが生きるこの世界に、
飽きているようだ。


それでも、わたしの頭はうるさいまま。

「これからどうやって生きていくの?」
「普通になりたいんじゃないの?」
「わがまま辞めるためには…?」
と、自分のことを永遠に聞いてくるから、

向き合わざるを得ない状態になり、落胆する。

かと思えば、目の前に入ってきた文字に
「これは何の意味があるのか…?」とか
しょうもないことを永遠に考えている。


ずっと、頭がうるさいのは、
過去にずっとあった
何かしらの刺激を探しているからだと思う。

刺激は、わたしの頭のうるささを全部かき消し、
没頭させてくれる。

今のわたしに
過去と同じような刺激は、もう効かない。
同じ作業をしても、面白いと感じない。

なぜなら、その仕組みを
わたしが知っているから。

当然のことと言われれば、
当然のこと。


こんな感じで、ずっとずっと頭がうるさいので、
お酒に逃げるようになった。

アルコールを身体に入れると、
頭のうるささは一瞬で消え、

この世の中が輝いて見える。
人生捨てたもんじゃないな、と笑顔になれる。

聞こえがいいように書いているが、
これも、現実から目を背けているだけ。

自分の弱さを依存性のあるお酒でかき消しているだけだ。

こんな感覚を知人に話したら、
「分かるよ。」と、理解されてしまった。


肯定されたことにびっくりしたわたしは、
裸を晒してしまったかのような恥ずかしさを覚えた。

他人に肯定されたくない感覚を
肯定されることがとても怖かった。


怖くなったのは、
わたしが、こんなの良くないよ。
と、止めてほしくて言ったからだろう。


お酒を呑むことや、
自分の弱さを他人に明かすことは、
わたしにとっての、SOSなのだと思う。

「こんなことをしてしまいました。」
と白状した後には、
古文にでてくる反語のように
「助けてください。」
という隠語が含まれているのだと思う。


ひとりで、解決しろよ。とも思うが、
この頭のうるささがある以上は、
冷静に自分を客観視できない。

とにかく、よく分からないわたしという人間と
毎日闘っている。
生きる活力を取り戻すために、
わたしは、わたしと向き合い続ける。


綺麗な文章を書きたいとか、
一貫性のある文章を書きたいとか
そういう感情で書いたものではないので、
今回も何が言いたいのか
分からない状態ではあるが、
自分を理解するための整理にはなった気がする。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。


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