コラム「境を越えた瞬間」2022年6月号-尾﨑柊子さん‐
プロフィール
尾﨑 柊子 (おざき しゅうこ)
大学院博士前期課程2年。
大学では社会福祉を専攻。
大学4年次より訪問介護事業所マリア・カサブランカにてALS当事者である眞弓さんの学生ヘルパーを始める。週1回訪問しケアにあたっている。
向き合ってきた境
お話を頂いたのは入社から1年経過した頃でした。
「境を越えた瞬間」と伺い思案した時、ヘルパーとして働き始めた理由、そしてそこから経験してきた感情は”境”という言葉で説明ができるかもしれないと思い至りました。
学生ヘルパーとして入社し研修を受け始めたのは卒業論文を終えた大学4年生の年明けでした。
そんな遅くでもヘルパーになろうとした理由を振り返ると、大学で社会福祉を学んだ上で現場を知りたかったこと、介助者になりたいと思ったことが挙げられます。
前者はありきたりですが、後者については深掘りする必要がありそうです。
私は大学内外で障害がある同年代の学生たちと友達・先輩として関わる機会が多く、その中で同じ学生なのに障害がある故に降りかかる彼らの苦労を見聞きしそのことに不条理や怒りを感じていました。
しかし、彼らの気持ちに共感しどれだけ理解したつもりでも私は当事者にはなりえず、そういう当事者ではないと言われる立場でいる自分への引け目、無力感に近いものを持ち続けていました。それでも自分にできることは何か、彼らにより近い存在で居たいと願ったとき、障害者と健常者の“境”を越えられるのが介助者だと答えを出したのだと思います。
しかし、資格を取りケアに入れるようになっても一筋縄では行きませんでした。
奇しくも執筆のお話を頂く頃まで葛藤し、何かに悩んでいたと思います。何に苦労したのか頭を巡らせた時、「非介助者―介助者―良い介助者の境」にそれぞれ向き合った時間だったのかなと思います。
答えが出るまで半年程かかりましたが、「今の自分にできるケアはこれだからこれで良い。これから努力していけばよい。」とヘルパーとしての今の自分を受け入れられた瞬間が、大きな「境を越えた瞬間」だったと言えます。
「良い介助者」に正解もゴールもないことは承知の上で、どこまで相手の暮らしを想像できるか、彩りのあるケアができるか、そして独りよがりでケアにあたっていないか自分を疑うことが大事になってくるのかなと今は考えています。
これからもより心地の良いケアのために「より良い介助者」の境に向き合っていきたいと思います。
最後になりましたが、このような自分と向き合う機会を与えて下さりありがとうございました。
そして共に働き導いて下さる先輩・仲間、ご家族。誰よりも、一緒に時を過ごしてヘルパーとしての私を見守り続けて下さる眞弓様に、心から感謝いたします。