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コラム「境を越えた瞬間」2024年10月号-池澤美月さん‐

プロフィール

池澤 美月(いけざわ みつき)

  • ヘルパー
    2000年生まれ。宮城県在住。
    大学卒業後の2023年度より、ヘルパーとして訪問介護事業所に勤務。「境を越えて」の宮城県でのカリキュラム化プロジェクトにも関わっています。


学生運動を経て、ヘルパーになる

「障害」について考える、動く!

大学1年生だった2019年5月に、優生保護法問題に出会った。
優生保護法とは、障害や病気のある人に「不良な子孫の出生を防止する」という目的で不妊手術(子どもをもつことをできなくする手術)を行うことを認めた法律だ。

その法の下で手術を強いられた人々が、国を相手に裁判を起こした。私は、被害実態に衝撃を受け、声をあげている人たちに影響されて、他の学生をはじめ、たくさんの人たちと、その裁判の支援や、国に謝罪と補償を求める署名集め、集会の開催などの活動を行った。

「ともに生きる」や「いのちを分けない社会へ」を目指してきた。

この活動の中で、"境を越えた"ことはたくさんあった。
様々な障害のある人たち、様々な年齢の人たちと、同じ志のもとでたくさん会議をしたこと。
ろう者と手話通訳者が大半を占める交流会に参加したこと。
東京の集会に参加した後、東京に住んでいる視覚障害のある参加者の方の歩行をサポートしつつ、駅まで連れて行ってもらったこと。
などなど。

ヘルパーになる!

大学卒業後の進路を考える中で、「もっと障害のある人の暮らしを知りたい。どんな困難があるのか、困難とくくらない生き方がどう成り立っているのか知りたい。命や生活を支える仕事がしたい」と思い、ヘルパーの仕事をすることを決めた。
「高齢者介護」より「障害者介護」を多く行っている訪問介護事業所の門を叩き、初任者研修をとって、雇ってもらった。

このこともまた、"境を越えた"と思う大きな出来事だ。

ヘルパーとして働き始めて、自分のできないことや知らないことの多さに直面した。

普段の仕事では、排泄や入浴の介助、ベッドから車椅子への移乗などの身体介護と、洗濯・掃除・調理といった家事援助を主に行っている。お出かけや通院などの移動を支援することもある。

簡単な仕事だと思っていたわけではない。ただ、介助の専門職として、求められることは私にとってハイレベルだった。

家事が十分にできなかった。
人の身体のことも全然分かっていなかった。
気づかいや一般常識にも欠けていたし、仕事の覚えも悪かった。

そんな感じで、ドン引きされてしまうこと、叱られることも多かった。今もまだまだ足りないところだらけで、日々壁にぶつかりながら奮闘している。

でも、ヘルパーの仕事は「楽しい」し「おもしろい」。

ヘルパーがいることで、生きていける人・地域で生活できる人がたくさんいる。とても大事な仕事だと思う。
個人としても、自分の世界が広がり、やわらかい考え方ができるようになっていく気がする。私も努力して、周りから信頼されるヘルパーになりたい。それに、ヘルパーになる人や、仕事でなくても他人の介助をする人が増えるといいなと思っている。

優生保護法問題に取り組む宮城の仲間たちと作成したビッグフラッグ。
「いのちに優劣なんてない」「あなたもわたしもいるだけでいい」というメッセージと、様々な人を形どった布の人形たち。
こういう社会のためにも、介助者が必要ですね。


境は至るところにあります。目に見える境もあれば目に見えない境もあります。境がないと壊れてしまうものもあれば、境があるから困ってしまうことがあるのかもしれません。
毎月、障がい・福祉・医療に関わる方に「境を越えた瞬間」というテーマでコラムを書いていただいています。
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