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コラム「境を越えた瞬間」2024年4月号-杉田省吾さん‐

プロフィール

杉田 省吾(すぎた・しょうご)

1969年、大阪府豊中市生まれ。
2009年から川崎市在住。
毎朝、空の写真撮ってSNSで生存アピールしてます。
川崎つながろ会」という患者会の活動で月一は外出し、世間に存在アピールしてます。
楽しく、時に苦しく生きてます。誰だってそうですね。


少しずつ越えた「境」

私はALS患者です。
2013年に発症し、2017年に気管切開を行い延命して今に至ります。
家族は妻だけです。

ALSだとわかったのは発症から半年ほど経ったころ。
それからしばらくは「原因がよくわかっていない病気。何が起きてもおかしくないのでは?」と根拠なく一縷の希望を持っていましたがそれは長続きせず、早々に「ALSが消える」というような希望を持つのはやめにした。
そんな簡単に奇跡など起きるはずもなく、結局は「動けなくなる=何もできなくなる=生きていてもしょうがない」という陥りがちなネガティブシンキングにどっぷりハマっていった。
そう、私の「境」とは「死か生か」の境で、当初、私の頭の中は死に染まっていました。

さっきネガティブシンキングと言いましたが、振り返ってみるとこの思考はそんな悪い思考じゃなかったなと今は思ってる。
ALSとのガチンコ対決には白旗を上げたけど、おかげで治療法や薬の開発などに執着することなく「心」は病まなかったから。もちろん期待はしているが。
ALSに勝つ、というか「困難に打ち克つ」ためのプロセスや考え方は一つじゃなく一人ひとりの人生と同じ数だけあるんだと思う。
私の場合、敵が強すぎると感じたので早々に闘うことをやめて結果的に自由になれた。
それが「境」に足を踏み入れた瞬間かもしれない。

気持ち的には自由になって多少、楽になったかもしれないが、相変わらず死は揺るぎないものとして頭の中にいた。
自分があと数年で死ぬ、なんてことがはっきりすると突然ものすごい孤独感に襲われた。
仕事は傷病休暇を取り実質退職、地元は大阪なんだけど、この時は転勤で川崎に越してきて数年というタイミングだったこともあって、なんだかんだ言える友人も少なく、その友人たちも自ら遠ざけていた。
だってみんなは制限なく未来を語れるけれど私はせいぜい5年先の未来までで、しかも死んじゃうっていう未来。
そういう現実に傷つくのを避けていたんでしょうね。

そんな頃、PCを視線入力で扱えるようになり「体が動かなくてもいろいろやれそうだな」と考えるようになってほんの少し前を見だした。
そう、「境」を進み始めたんだ。
進み始めたら行動も起こしちゃいます。
近くで開催されたICT救助隊のイベントに参加し、そこで活発に活動する当事者や支援者たちに出会うことができた。
その中には当時ALS協会の副会長だった岡部さんもいた。オーラ出てた。
あまり人がやっていることに興味のない私ですが、その後、その時お会いした人たちの言動をSNSや他のイベントにも参加したりして追いかけるようになり、力強く確信に満ちたその言動は、その後の自分の決断に大きく影響した。
また、この時の出会いがきっかけで私を生かそうとする専門職の支援者たちとつながったのも大きな前進だった。

そういう人たちの背中を見ていて、ある時ハッとした。
「あ!おれは別に死にたいわけじゃないんだった」

文中に出てくるICT救助隊のイベントにて。
中央の青い服を着ている方が杉田さん。

ずっと死ぬことばかり考えていたら、死ぬこと以外の選択肢を考えなくなっていた。怖いことだ。
そうしてアグレッシブな人たちの言動と支援に背中を押してもらって生きる決断をするに至り、やっと「境」を越えることができたのでした。
私はいくつかのプロセスを経て、多くの先人と支援者が生きる道を切り拓いてくれたおかげで「境を越える」ことができた。感謝しかない。

あとは幸せな日を毎日更新することだな。
それが今後やるべきおれの仕事。
死ぬまでね。


境は至るところにあります。目に見える境もあれば目に見えない境もあります。境がないと壊れてしまうものもあれば、境があるから困ってしまうことがあるのかもしれません。
毎月、障がい・福祉・医療に関わる方に「境を越えた瞬間」というテーマでコラムを書いていただいています。
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