コラム「境を越えた瞬間」2024年9月号-赤沼さち子さん‐
プロフィール
赤沼さち子(あかぬまさちこ)
ALS当事者,主婦・3児の母
日本ALS協会理事,日本ALS協会長野県支部運営委員
今の私の毎日は、私を支えてくれるたくさんの人たちのカラーで彩られています。そんな様子をイメージしながら、私は自分の支援チームを「Colorier ALS(コロリエ)」と呼んでいます。colorierはフランス語で彩る・色付けするという意味。現在、学生ヘルパーを含む約15名のヘルパーさんが在籍中です。
「小さなこだわり☆」
私の日常の本当に何気ない一コマ。 ALSを発症してまだ間もない頃、あるヘルパーさんが作った「その」光景を見た時が、私の「境を越えた瞬間」でした。それは、私のその後の人生を大きく変えてくれた光景でした。
ごく平凡な主婦だった私は、37歳の時にALSを発症しました。発症して間もなく手が自由に使えなくなったことから、家事を思うようにできないことが徐々に増えていきました。
ゴミのまとめ方、洗濯物の干し方、洗った食器のふせ方、洋服のたたみ方…。日々の家事の中にちりばめられた、家族を想って工夫した、主婦の私の小さなこだわりの数々。
自分の手が動けば容易く叶えられる、そんなちょっとしたこだわりが叶えられないことに、その頃の私はひどくストレスを感じ、
「こうやって、次第に何もできなくなっていくのだ…。」と、
自分の未来に絶望を感じていました。
当時、家事の中で特に苦戦していたのが洗濯物を干すことでした。指先に力が入らなくて、うまく洗濯ばさみを広げることができなくなっていたからです。
そんな私に代わって、仕事から帰った夫が毎晩干してくれるようになりました。その優しさはとても嬉しかったのですが、夫の干してくれる洗濯物はいつも「夫の干し方」。(当たり前ですよね、旦那さんごめんね 笑。)頭では分かっていても、やはり見慣れないのです。
そうしている間にも、私の身体機能はどんどん落ちていき、我が家の家事は次第に滞るようになりました。そしていつの間にか、私にとって家事は「工夫したり、こだわるもの」ではなく、「必死にこなすもの」となっていきました。
そんな中、私にとって初めてのヘルパーさんとなるトシエさんが我が家にやってきました。
トシエさんとは同じ主婦同士、よく一緒に「主婦あるある」やお互いの家事のこだわりについて楽しく話をしていました。
ある日、トシエさんが帰った後、ふとある光景が目に留まりました。それは、「私の干し方」で干されている家族の洗濯物でした。久しぶりに見る、何だかとても懐かしい感じのする光景。
トシエさんは、私との何気ないおしゃべりの中から私の想いやこだわりを汲み取り、それを叶えてくれていたのでした。私は、まるで自分で洗濯物を干したかのような気持ちになって、心の中の絶望の暗雲がスッと晴れていくのが分かりました。境を越えた瞬間でした。
「自分の手が動かせなくなっても、誰かの手を借りることができれば、私はこれからも変わらずに自分の意思を叶えていくことができる!今までと少し方法を変えて、これからは誰かの手を借りて『自分で』色々なことをしていこう。」と考えると、ALSで私が失うものは、思ったほど多くないような気がしてきました。
これは、その後私がALSと付き合っていく上での根本の考え方となり、このあとトシエさんに続くたくさんのヘルパーさん達との素晴らしい出逢いを私にもたらしてくれました。
私を絶望から、一気に前向きな気持ちにさせてくれたトシエさんのプロの仕事に尊敬を覚えると共に、心から感謝しています。
「境を越えて」5年。
トシエさんは、今も変わらず側で私を支えてくれる大切な存在です。