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コラム「境を越えた瞬間」2023年4月号-白浜あゆみさん‐

プロフィール

白浜 あゆみ(しらはま あゆみ)

  • 都内某所 行政福祉職

  • 2014-2018大学在学中、ALS当事者橋本操さん(※)の学生ヘルパーとして従事

  • 卒業後もOGとして橋本家に通い詰める。

  • スマホの壁紙はぽん様

※橋本操さん
32歳で筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症。人工呼吸器をつけて独居での在宅生活をするパイオニア的存在。NPO法人ALS/MNDサポートセンターさくら会理事長や日本ALS協会会長などを務めながら、在宅生活の基盤作りや、日本各地や世界の仲間のもとへ駆けつけてのピアサポートを行い続けた。
また、近隣大学の学生を自薦ヘルパーとして自身の事業所でアルバイト雇用し、多くの学生を育ててきた。
2022年8月9日に逝去(享年69歳)。

学生ヘルパー同期と、操さん宅で。(2020)
左手前が白浜さん。中央が橋本操さん。


マダムの推し活、私の押し活♿



マダム曰く「発病してからぐっすり寝たことがない。」らしい。
だから「マダムが、ぽんの夢を見るくらい安眠させてやる。」
学生ヘルパーを卒業し、社会人になった現在はその小さな目標を達成するためにマダム家に通っている。

でも今回も「昨日はよく寝た。」と言わせることができなかった。



「境を越えた瞬間」のコラムのお話を頂いたのは2022年の1月。
意気込んで書き始めた文章はここで終わっていた。

私は密かな目標を叶えさせてもらえなかった。
マダムはあちらでぽんを膝にのせて「甘いね。」と笑っていることでしょう。
おまけにお膝のぽんは( ̄― ̄)こんな感じで未熟者を憐れんでいることでしょう。
マダム、悔しいよ!OGヘルパーとしてそれだけをモチベーションにしていたのに!


「元気でいるか?」
「町には慣れたか~?」
「お酒はあるの?」
「今度いつくるの?」

連絡を見返すと、何の変哲もないやり取りばかり。

夜勤中のお戯れ。

マダムとの出会いは大学一年生。
どうにかして食い扶持を稼がなければならなかった苦学生に、一泊二食付きのバイトはおいしすぎた。
別に最低賃金以上なら、飲食チェーンでも、イベントバイトでもなんでもよかったのだが、犬好きの私にとって「バイトで犬と戯れられる」ことが魅力的すぎた。
まるで興味がなかった「福祉」への境を越えたのはそんな「なんとなく」の理由から。

マダムは多くを語らない。
まさに職人現場で、見習いの期間の3年くらいはマダムの言動の意味がまるで分からなかった。
「明日は仏の御石の鉢を。来週は燕の子安貝を持ってくるように。」と言われていた気がする。

毎日正解が違う日々に歯がゆさを感じたこともあった。しかし、自由なマダムの周りにどうして人が絶えないのか。その理由が知りたかった。
マダムを理解するため、手始めにぽんに取り入った。
いちごを賄賂に、ぽんとのパワーバランスの境を越えた。

見習いを初めて間もない頃、マダムは私たち学生に「私は要介護者だけど、私はあなたたち学生の雇用の機会を作っている。」と言い放ったことがある。
介護現場への理解の乏しさに気づかされた。
その日から、要介護者対ヘルパーという境を越えて関わっていくことになる。

人手不足も相まって、月に何十時間もアルバイトに入っていた。
マダム家で食って、寝て、出して。
まさに半分住んでいた。

言葉通り眠れない夜をともに越え、地方出張にアテンドし、同じ釜の飯を食い(マダムはミキサーとマーゲンチューブで。)、徐々に学生ヘルパーの甘味、苦味、塩味を知りながら、かき混ぜられてマダムの魅力にどっぷり漬かった。

社会福祉実習が終わった日に夜勤に行くと、食べきれないほどの料理を振舞って頂いた。
失恋したときには「ドンマイ、男なんて星の数ほどいるさ。」とブルゾンちえみオマージュの言葉で励まされた。
2016年の熊本地震の時には「地元に恩返しして来なさい。」と航空券を渡され、支援物資とともに送り出された。
朝ドラ マッサンの影響でウィスキーにハマっていることを話すと、マダムはニヤリと笑い、「君もオンザロックが好きか。私も若いころ、料理しながら知多ロック飲んでたよ。」と。
その日、同ウイスキーを一本お土産にくれた。
ぽんの可愛さを何度も語った。


小春日和の穏やかな日以外も、マダムのやさしさは浸みた。


マダムはご自身に縁のあるものや最近のマイブームまで惜しみなくシェアしてくれた。
大事なものを独り占めにせず、私たちヘルパーにもオープンにしてくれたことが嬉しかった。
毎日が「超いいね👍」だった。

多くの時間をシェアしたが、マダムはミステリアスなままだった。
マダムはヲタク心をくすぐるのが上手すぎた。


「越えたいけど、越えてはならない。」
「でも今日だけなら越えていいよ」
毎日少しだけ越えて、でも次は振り出しに戻って・・・
と、その繰り返しだった気がします。
おそらく、マダムはあちらで「甘いね。」とニヤりと笑っている。


一つ覚えのさだまさしを聴き、雨の日はスヌーピーのハンカチを持ち、花屋でバラを眺めてみる。ちょっといい紅茶をすすってみる。キッチンでウイスキーを飲んでみる。

好きなものを教えてくださったので、いつでも操さんを思い出すことができます。
桜の時期には故郷よりも東京が恋しくなるのが、自分でもおかしい位ですよ。

桜と言えば操さん!と愛犬のぽん。

学生ヘルパーの同期や先輩後輩、ケアチーム、関係者の方々。
操さんの周りにいた人と、思い出話ができること。
時を越えて操さんから多くのものを頂いています。

私はどこまで境を越えられていたのか。
操さん、いつか答え合わせをさせてくださいね。


北海道の電車の中で。
左が白浜さん。


境は至るところにあります。目に見える境もあれば目に見えない境もあります。境がないと壊れてしまうものもあれば、境があるから困ってしまうことがあるのかもしれません。
毎月、障がい・福祉・医療に関わる方に「境を越えた瞬間」というテーマでコラムを書いていただいています。
いろいろな方のコラムをぜひ読んでみてください。
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