コラム「境を越えた瞬間」2023年2月号-中山優季さん‐
プロフィール
中山 優季(なかやま ゆき)
難病看護の研究員
看護学生時代に、学生有償ボランティアとして、ALSの方のお宅に伺ったことがきっかけで、この道?一筋となっています。
現在は、通りすがりの難病看護研究者として、チーム岡部とのコラボ企画に参加しています。
わたしは境を越えることができていますか?
アナタノ ソン ハ マイペース
ツギツギデ、ツカレル
看護師1年目のとき、独り立ちして初めて受け持ったALSの方からの言葉。
悩んだ末に喉頭気管分離術を選択され、声が出せない彼は、手のひらにカタカナで文字を書き伝えていた。
私は学生時代からALSの人工呼吸療法をされていたGさん宅に通っており、このような生活を送るためのお手伝いがしたいと脳外科・神経内科の病棟の配属を希望した。
そこで初めて、ALSの方の受け持ち看護師となり張り切っていた。
いつまで手のひらに文字を書けるかわからない、50音を早く覚えた方が良いのでは?と学生実習さながら、天井に50音表を貼ってみたり、当時は珍しかった喉頭気管分離術について海外のサイトに情報を求めたり、とにかく「張り切って」いた。
来たるべく在宅療養に向けて、あれも、これも、と張り切っていたのだと思う。
何を勧めたかは忘れてしまったけど、いつものように、日勤で今日のやるべきことを意気揚々と伝えたそのとき、一生懸命、手のひらで伝えられたのが冒頭の言葉であった。
朝一番で、たしか他にも手術出しだったり、いろいろやることはあったと思う。だけど、一生懸命伝えて下さるその一文字一文字、「これは途中にしてはいけない」と懸命に聞き取っていたら、小一時間は経っていた。
その間、代わりにほかの仕事をすべて引き受けてくださった先輩にはいまだに頭があがらない。
このコラムのお題は、「境を越えた瞬間」である。
私自身、境を越えた瞬間を自覚できることが思い浮かばず、1年近く考えて、「境を越えたのだかどうだか分からない」エピソードになってしまった。
あれから約四半世紀を経て、相変わらず「独りよがりの押し付け看護」をしていないか、今まで出会ってくださった方々にお尋ねとお詫びをして回りたい気分だ。
もっとも、今は、直接的な看護をする機会はめっきり減ってしまい、あれほどまで「誰かのために」できたことを懐かしく想い出す図々しさも兼ね備えてしまったが。
何かを為す時、いま一度「それは誰のために?」を肝に銘じていきたい。
初心にかえることの大切さをほろ苦い思い出とともにかみしめている。