難病体験コラム 潰瘍性大腸炎 50代男性
★難病と宣告されて・・・
30代後半、急にひどい下痢が続きました。
子どもの頃から胃腸は弱かったので、初めのうちはあまり気にもとめていませんでした。
しかし1週間たっても症状が治まらないので、心配になり通院をし、その後検査をしたら潰瘍性大腸炎との診断でした。
医師から「難病です」「すぐ入院してください」と告げられた時には、頭が真っ白になり「難病ということはこのまま死んでしまうのか」という恐怖を感じたことを今でも鮮明に覚えています。
「難病=死」今から考えるとあまりにも浅はかな考えですが、それほど、自分自身の日常と難病はかけ離れたところにあったのだと思います。
入院と同時に完全絶食でした。
首筋の静脈より点滴で栄養分を入れてもらい(中心静脈栄養法)、後はベッドで寝ているだけの生活。
主治医に「入院期間はどれくらいになりますか」と聞くと「少なくても2ヶ月~3ヶ月」と告げられ、入院当初は絶望感しかありませんでした。
当時、難病ということに対して、何も知識がありませんでした。
入院したのが小さな病院だったこともあるのか「手続きをすれば医療費助成があります」ということくらいしか教えてもらえずに、「これからどうなるのだろう」という不安感が日に日に増していきました。
★生活の質の低下
潰瘍性大腸炎は大腸粘膜に炎症が起こす病気です。
私の場合は直腸あたりの炎症がひどかったために「便意をもよおすと数秒しかがまんできない」という状況になりました。
健康は人であれば、「排便したい」と思っても10分くらいは我慢できると思いますが、私の場合は本当に「数秒」だったのです。
「いつ便が漏れるかわからない」
たったそれだけの症状でも、生活の質は大きく低下していきました。
まずは外出することがだんだんおっくうになりました。
特に人が多く集まる場所には行けなくなってきました。
外出する時は必ず「トイレがどこにあるのか」確認しないと行動できません。
電車に乗る時はトイレ付きの車両に乗るのですが、誰かがトイレに入ると、その時点で緊張感が走りました。
★大腸がなくなる!
発病から約20年、いろいろな治療を行ってきました。
多量のステロイド薬を使用していた時期もありました。
免疫抑制剤を使用して、劇的な効果が得られたのですが、すぐに副作用で肝機能の数値がが悪くなり、投薬を中止しました。
白血球顆粒除去療法という治療も受けましたが、ほとんど効果はありませんでした。
当時、ドクターから提案していただいた、あらゆる治療を試しましたが、ほぼ寛解する時期はありませんでした。
そして今から6年前、大腸内視鏡検査の結果、症状がかなり悪化しており、大腸全摘手術を受けるしかないという状況になりました。
この病気と長く付き合う中で「いつか手術をする日が来るかも」という漠然として見通しはありましたが、実際に「臓器がひとつなくなる」とう現実はなかなか受け入れがたいものでした。
★なかなか厄介な人工肛門
手術することが決まったのですが、私が通院していた病院は大腸全摘手術の症例数が少なく、不安な思いが頭をよぎりました。
それで、インターネットを通じて、手術経験者の方にアドバイスを受けて、手術症例数の多い県外の病院で手術を受けることにしました。
大腸を全摘した後、完全に人工肛門で生活するパターンと、数回の手術を経て、小腸と肛門をつなげる形で排便機能を温存するパターンがあります。
それぞれにメリットやデメリットがあるようですが、私の場合は排便機能を温存する形で手術を進めてもらうことにしました。
まずは1回目の手術。大腸を全摘して、小腸の末端を折り曲げた回腸嚢(便をためる袋)と肛門をつなぎ、そして小腸の人工肛門を作る・・・というなかなか大変な手術を受けました。
手術自体は大きなトラブルもなかったのですが、パウチ(便をためておく袋)の処置を自分でしなければならないので、術後に一番苦労した点かもしれません。
基本的なパウチの使い方は入院中に担当看護師さんから教えていただくことができました。
下腹部あたりに強力接着剤でパウチを付けるのですが、少し貼り方が甘いと、隙間から便が漏れてしまいます。
また、ガスでパウチが膨れてしまって、パウチが破裂しそうなくらいにパンパンになることもありました。
でも、これは経験を積んでなれるしかないのですよね。
だいたい3時間おきくらいにパウチにたまった便をトイレに捨てに行きます。
外出先で和式トイレの場合、流すのに一苦労ということもしばしばありました。
そして何よりもしんどかったのが、夜中にも便はパウチにたまるので、気になってあまり眠れませんでした。疲れで熟睡した時にはベッドの上に便が漏れてしまうということもありました。
★人工肛門閉鎖~楽になると思いきや・・・・
約4ヶ月後、人工肛門を綴じる手術を行いました(人工肛門閉鎖術)。
「ようやく人工肛門の煩わしさから解放される」と喜んだのもつかの間、手術後には思いもよらない、しんどい生活が待っていました。
手術直後は、水のような便が「たねながし」の状態になりました。
おむつをしているのですが、それでもトイレに1日50回くらい通わなければならない状態・・・というか、ほとんど1日中トイレで過ごしている感じでした。
1ヶ月くらいはそのような状態が続きましたが、水のような便が少しずつ泥状になってきたり、小腸にためられるようになってきて、1日に10回~15回トイレに行けば、なんとか日常生活が送れるようになってきました。
それでも、外出する前、数時間前からは食事をとらないようにしたり、外食を避けたり、「大腸があった時」「人工肛門の時」よりもしんどい・・・と感じ、「人工肛門にもどそうか」と思ったこともありました。
その後、3ヶ月くらいした頃から、状態が少し落ち着いてきて、便の回数も1日7~8回程度になりました。
これくらいであれば、健康は人がおしっこに行く回数とそれほど変わらないので、なんとか苦痛なく、生活を送ることができるようになってきました。
手術をして6年くらい経ちますが、未だに時々漏れることがあります。特に夜、寝ている時に漏れることが多いので、眠りが浅くなり、十分な睡眠がとりにくい状態ではあります。
また、便が肛門周りに付着することで荒れがひどくてお尻に激痛が走ることもしばしばです。
でも、そんな状況も「慣れ」で何とか対応できています。「慣れ」で何とかなるのですね。人間の力はすごいです。
今では、よほど消化が悪いもの以外は普通に食べていますし、仕事や趣味も大きな支障なく、取り組めるようになっています。
★難病と向き合いながらも楽しく生きたい
潰瘍性大腸炎を発病したのは30代後半でした。
その頃は、休日も含めて仕事ばかりの生活でした。
でも難病を患ったことで、仕事をセーブしなければならない状況になり、そんな中で、自分自身の生活そのものを見直すきっかけを得たような気がしています。
「もっと楽しく生きたい」
そんな重いから、友人とバンド活動を始めました。
高齢者の集まりや保育園や小学校、地域のイベント等でも演奏する機会をいただき、音楽を通して、たくさんの人たちとつながることができています。
「難病になってよかった」なんていことは全く思いません。でも、病気と向き合う中であらたな世界を生み出すきっかけが作れたのだと思っています。
「演奏している最中におなかの調子が悪くなったらどうしよう」とか「演奏する予定の日に体調が悪くなったら迷惑をかけるなぁ」とか・・・心配なこともたくさんあります。でも「その時はその時」「仲間がなんとかしてくれる」って開き直って活動をしています。
病気だから「できないこと」「できにくいこと」もたくさんあります。
「できなこと」だけを見ていても仕方がないので、まずはちっちゃくても「できること」「好きなこと」を見つけていきたいなぁと思っています。
僕にとっての音楽はいろんな人と出会うための手段のような気がしています。
いろんな人と出会うことは人生を楽しく豊かにしてくれます。
難病の人たちが、たくさんの人たちと気兼ねなくつながれる場を作っていきたい。そんな目標も持ちながら、これからの人生を楽しんでいきたいと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?